だからなに。
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2004年03月09日(火) 結婚

ふたりの間で「結婚しよう」と決まってから
わたしの両親にきちんと挨拶する日を決めて、
その日はずっとそわそわして過ごした。

プロ野球のシーズン中で、居間のテレビを父が見ていた。
そこに通された、かしこまった服装の仙人は
正座をしたままいつまでたっても黙っている。
そりゃあ緊張もするだろうとは思ったが、
母も少し落ち着かない様子で、緊張感がないのは自分だけのようだった。
そんなだったから、ちょっとちょっと!、と
仙人をせっついたりしていた。

ああいう時、自分が嫁をもらう立場である男だったとしたら
彼女の両親に何て言うのだろう。

よく覚えていないけれど
「○○さんと、結婚させてください」と言った気がする。
違っていても、まあそんなような感じだったと思う。

やっとのことで口にして、少しほっとしていたら
それを聞いた父がいともあっさり「うん」と答えた。
え? うん、って、そんなもんなのこういうのって?
母もほっとしたのか、顔がほころんでいた。
そのあと父が「それはいいんだけど」と、何か聞いていた気がするが
それは忘れてしまった。
これで一応、わたし側の親の承諾は得られたことになる。

普通ならきっと、嫁をもらう側の親が相手の家に行って
挨拶みたいなものがあるみたいだけど
わたしの時はそうではなくて、こちらの両親が仙人の家に行って
親どうしの挨拶みたいなことをした。
その日は仙人は仕事で、仙人抜きということになった。

そんな席でも仙人の親たちは、
一応は客であるわたしの両親が目の前にいるというのに、
しかもただの客ではなく息子が結婚しようとしている相手の親なのに
夫婦で口喧嘩を始めたりして、
わたしの母はどうしたらいいものかと困った顔をしていた。
父の顔も険しくなっていった。
しまいには仙人の父親に「金ぐらい積め」みたいなことを言われて
わたしの父は呆れ返ってしまい、「もういいよ、一緒に帰ろう」と
わたしを連れて帰ろうとしていたが
わたしは仙人と一緒にいたいというだけで「ううん」と首を振った。
あの時、父の気持ちをしっかり理解することができていたら
そのまま一緒に帰って、今とは違う生活をしていたのかもしれない。

このことでもわかるように、仙人の親はどこかがおかしい。
この時は父親が言ったことだったが、母親も金に執着している人だ。
夫婦ともに何かがおかしい。

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結婚式はどこでしようか、と話していた。
グアムとかに行ってふたりで式だけ挙げてこようか、という案もあったが
結局はいくつかパンフレットを見て、近いところですることにした。
式場に行って、いろんな手続きをして
その日までの流れの説明を聞いて、披露宴会場などの下見をしたりした。
ドレスの試着や簡単なかつら合わせもした。
リストを作って、招待状も出し始めた。

でも、結婚式も披露宴も無期延期になった。
義理母に阻害されたとわたしは思っているのだが
貯金もない人たちが披露宴をしようとするのは
費用のことで困るだろうというのはわかる。
確かに、お金は手にしてみるまでは足りるのかどうかはわからない。
お祝いでいただく分で何とかなるだろうと思っていたのは
そんなに甘い考えだったのだろうか。
別に豪勢な披露宴とかを考えていたわけでもないのに。
費用が少なくて済むように、高砂の一段高くなるところを削ったり
細かいところも考えていたのに。

そう言われてしまうと、実際のところ、大幅に不足になっても困るから
式場はキャンセルしようということになった。
自分の人生の一大事、明るく踏み出せるはずの一歩目。
でも本当の一歩目は先の挨拶の時に既にくじかれているのと同じだった。

キャンセルを伝えるためにふたりで式場に行って
担当の人に話していたら涙が出てきてしまい、ぐすぐすしていたら
「花粉症ですか?」と言われた。
そんなわけないでしょう。人の気持ちを少しは理解しなさいよ。
きっと、悔し涙だったのだろうと思う。
キャンセルにするとキャンセル料が必要になるため、
期限は設けない延期ということになった。
仲良しの友達数人に出してあった招待状の返事はもう届いていて
わたしはすぐに中止の連絡をすることになった。

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だからといって、写真だけでも撮っておこうかとか
そういうこともなく
婚姻届を出しただけの、仙人の両親との同居から
わたしの結婚生活が始まっていった。





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