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■ 母子
帰省すると恒例なのが、1つは我が家での飲み会。 もう1つは、母との語らいだったりします。
今回もありました。 母と深夜の込み入ったお話。
議題(?)は当然と言うか、私の彼氏さんのことなんですが。
いろいろ言えること、言うべきことは順序立てて伝えたつもりで、絶対言えないことはやっぱり言えず仕舞いだったりしたんだけど。 とりあえず彼氏さんの要望である 「ご両親に直接会って謝罪」とゆーのは、まだ暫く叶いそうもありゃーせん。
でも、それなりに私の気持ちも尊重(?)してくれてるというか、大目にみてくれてるよーで。 貴女がそんなに好きなら、そういう気持ちを持ち続けるのは仕方ないしうるさく言えない、みたいな。
物凄く驚いたのは、母が打ち明けてくれた以下のお話。
母が父に暴力をうけていたことがあるのは知っていたけれど(長女姉あたりも暴力うけてる) それが、私が中学生の時代まで続いていたなんて、全然知らなかった。
「何だっけ、○○(私)が中学生の時、コンクールに出たでしょ、冬に」 「あぁ・・・ソロのコンクールね」
「奈井江であった時だから、中学2年生の時かな。 あの日が(暴力をうけたのが)最後だったんだよ」
・・・ってことは7年前までずっと手を上げられてたの? という感じです。
嘘でしょ、と思いましたが。 じゃあ一体何年間、母は耐えてきたんだろう、とか。 怖くて数えられませんでした。
何年、て。 1ケタじゃ絶対済まない年数で。
更に。 実は母が、父の暴力が原因で鬱病になっていたと言うことも、今回初めて知りました。 何年か前から精神科に通院して、薬も飲んでたらしい。 最近は薬の量も減って、飲まなくても段々平気になってきたとのことだけど。
鬱病って。
鬱病って・・・。
全然知らなかった。 母はずっと子供たちに知られないよう、振舞っていて。 正直、愕然として言葉が出なかった。
知らずにいた自分を嫌悪すると同時に、物凄く物凄く申し訳なくて。
心を病んでしまった原因である暴力。 それを、母が生きがいにしてる「子供」の私が、経験してしまったこと。
きっと、自身の痛みと同じくらい、知った母は辛かったんだろうと思う。 今も辛いんだろうと思う。
私は、自分が辛いのは嫌だけど、母に辛い思いをさせるのは本当に嫌だ。 辛い思いをさせてしまって、本当に申し訳なくて、泣いて土下座して謝ろうか、ってくらい。
「まさか自分の子供が、自分と同じ思いをするとは思わなかった」 「・・・・・・」
「自分と同じように我慢したり、そういう人生を送ってほしくない」 「・・・・・・」
何も言えないよ、ママ。
ごめんなさい。
でも。 でもね。
そんなことは、ないからね。
「私はママの子供で良かったと思ってる、けど、私は同じようになったりしないからね。 昔とは時代が違うし、姑との関係がどうとか、そういうの私にはまだないし。 誰かに相談することもできるし、自分で全部抱え込んだりしないから」
だから大丈夫だよ、って伝えたくて。
私は母と確かに血がつながっているけど、だからこそ、(悪い意味で)同じような人生を送ったりしないつもりだよ。 だから少しだけ、安心して、信じて欲しいの。
ごめんね。 今はまだ、あの人のことが大好きなんだ。
深夜2時頃から4時過ぎまで、お互い半分泣きそうになりつつ、そんな話をしていたのでした。
2005年04月03日(日)
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