やさぐれ日記・跡地
アルティーナ



 母子

帰省すると恒例なのが、1つは我が家での飲み会。
もう1つは、母との語らいだったりします。

今回もありました。
母と深夜の込み入ったお話。

議題(?)は当然と言うか、私の彼氏さんのことなんですが。


いろいろ言えること、言うべきことは順序立てて伝えたつもりで、絶対言えないことはやっぱり言えず仕舞いだったりしたんだけど。
とりあえず彼氏さんの要望である
「ご両親に直接会って謝罪」とゆーのは、まだ暫く叶いそうもありゃーせん。

でも、それなりに私の気持ちも尊重(?)してくれてるというか、大目にみてくれてるよーで。
貴女がそんなに好きなら、そういう気持ちを持ち続けるのは仕方ないしうるさく言えない、みたいな。


物凄く驚いたのは、母が打ち明けてくれた以下のお話。

母が父に暴力をうけていたことがあるのは知っていたけれど(長女姉あたりも暴力うけてる)
それが、私が中学生の時代まで続いていたなんて、全然知らなかった。

「何だっけ、○○(私)が中学生の時、コンクールに出たでしょ、冬に」
「あぁ・・・ソロのコンクールね」

「奈井江であった時だから、中学2年生の時かな。
あの日が(暴力をうけたのが)最後だったんだよ」

・・・ってことは7年前までずっと手を上げられてたの?
という感じです。

嘘でしょ、と思いましたが。
じゃあ一体何年間、母は耐えてきたんだろう、とか。
怖くて数えられませんでした。

何年、て。
1ケタじゃ絶対済まない年数で。

更に。
実は母が、父の暴力が原因で鬱病になっていたと言うことも、今回初めて知りました。
何年か前から精神科に通院して、薬も飲んでたらしい。
最近は薬の量も減って、飲まなくても段々平気になってきたとのことだけど。

鬱病って。

鬱病って・・・。

全然知らなかった。
母はずっと子供たちに知られないよう、振舞っていて。
正直、愕然として言葉が出なかった。

知らずにいた自分を嫌悪すると同時に、物凄く物凄く申し訳なくて。

心を病んでしまった原因である暴力。
それを、母が生きがいにしてる「子供」の私が、経験してしまったこと。

きっと、自身の痛みと同じくらい、知った母は辛かったんだろうと思う。
今も辛いんだろうと思う。

私は、自分が辛いのは嫌だけど、母に辛い思いをさせるのは本当に嫌だ。
辛い思いをさせてしまって、本当に申し訳なくて、泣いて土下座して謝ろうか、ってくらい。


「まさか自分の子供が、自分と同じ思いをするとは思わなかった」
「・・・・・・」

「自分と同じように我慢したり、そういう人生を送ってほしくない」
「・・・・・・」


何も言えないよ、ママ。

ごめんなさい。


でも。
でもね。

そんなことは、ないからね。

「私はママの子供で良かったと思ってる、けど、私は同じようになったりしないからね。
昔とは時代が違うし、姑との関係がどうとか、そういうの私にはまだないし。
誰かに相談することもできるし、自分で全部抱え込んだりしないから」


だから大丈夫だよ、って伝えたくて。

私は母と確かに血がつながっているけど、だからこそ、(悪い意味で)同じような人生を送ったりしないつもりだよ。
だから少しだけ、安心して、信じて欲しいの。

ごめんね。
今はまだ、あの人のことが大好きなんだ。


深夜2時頃から4時過ぎまで、お互い半分泣きそうになりつつ、そんな話をしていたのでした。



2005年04月03日(日)
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