ぐっどないとみゅうじっく
もくじきのうつぎの日社会の窓

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2003年04月25日(金) 舌打ち

 朝、駅でエスカレーターを降りていたら途中で詰まった。何人か前のふたりの老人が道を塞いでいた。僕は特に急いでいる訳でもなかったが(本当は遅刻)、僕の前の前の男が舌打ちしている。それが老人に聞こえているかどうかわからないが「チッ、チッ」と何度も僕の耳にはっきりと聞こえる。その男は舌打ちで気付いてくれ、察してくれとでも思っているんだろう。結局、下に着くまで老人はそのままで男は老人を睨みながら追い越して行った。
 後から気付いたがひとりの老人はおそらく盲人だった。もうひとりに手を引かれ、杖を突いて歩いている。そんな状況で男が無理にでも先へ行こうとしていたら、どうなっていたか分からない。目が見えない中、動いているエスカレーターの上で移動するのはすごい怖いことだと思う。老人が初めから左に避けていれば…と、マナーの話をしたい訳じゃない。
 男の舌打ちに腹が立つ。舌打ちで人を動かそうとすることに。察してくれと他人に甘えた態度に。本当に退いて欲しいのなら声に出せば良い。しかし、それすらもしない。その割には自分の我は通そうとする。何もしていないのに、何かしているような素振りはもうたくさんだ!

 察するというのは相手に対して「自分は何もしないけど悟れ」と言うのではなく、行動したことに対して周りが気付くこと。死ぬほど行動した後にそれでも気付いてくれないのならば、嘆けばいい…と、数年前に言われた。僕も何もしていないのに「察してくれ」と都合よく喚いていた。どんなに足掻いても伝わらないことはたくさんあるのに、何もせず伝わるはずがない。そんな虫がいい話は何処にもない。話さないから伝わらない。話そうともせず逃げれば、諦めれば楽だろう。ただ、そこで生まれるものは何もない。いつでも自分の想いをどれだけ伝えようとしているか、それだけが残る。



臨月 エイジ |お便り気付かない細道へ向かえ旧ぐっどないみゅうじっく

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