ぐっどないとみゅうじっく
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2002年06月20日(木) |
僕が漫画家になるのを諦めた理由 |
『”全身漫画”家」江川達也(光文社新書)を読む。今まで描いた彼の漫画をあえて解説するのだが、全体的に読んでてどうもしっくり来ない。「この漫画の手法には〜風に描いた」とか「この場面は本当は〜のメッセージが込められている」など、下手すれば後付けとも思われても仕方がないような理由が多く書いてある。基本的に「読者はどうせ分からないだろう」と言う気持ちが強く見られた。 江川の漫画は大抵読んで来た。その中でも『東京大学物語』は今でも面白かったと思う。そして今回、デビュー作『BE FREE』のことが熱く語られていて、未読だったため急遽古本屋で買い揃えた。しかし読んでみて心に残るものがない。絵だけですらすらとページが進むのはいいとしても「それで何が残ったのか?」と問われると口篭もってしまう。次々と巻き起こる無理難題を解決してゆくのだが、どれも現実とも漫画ともどっちつかずで、域を出れないもどかしさが残るだけだった。後から解説を読んでみても、そこまで前向きに深読みしないと理解できない作品なのかと疑ってしまう。 今連載中の2作『日露戦争物語』『源氏物語』を立ち読みでチラッと読んだが、人気を得るためわざと描いていたと言うお決まりのエロがない。今までとは明らかに思考が違うこの作品に期待は募る。ただ余りの暴走に打ち切りにならなければ良いが…。
小さい頃漫画家になりたかった。何かと家にこもりがちな子供の大半が思ったのと同じように。幼稚園の卒園式に先生に別れの手紙を書くことになり、僕は大好きだったドラえもんを描いた。すると色々悩んだ挙句、いつもとは違うドラえもんが描けた。どう違うかと言うと難しいのだけど、その絵には動きがあった。もちろん先生はそれに気付くことはなかったけれど…。 元々の運動嫌いもあったが、それから益々家にこもるようになる。そして紙と鉛筆があれば、水を得た魚のようにいつまでも筆を泳がせ続けた。しかしそれも、小学4年生の時、僕のクラスに転校してきたMくんによって打ち砕かれるのであった…。Mくんが転校して来たその日、美術の授業があった。黙々とそれぞれ絵を描く中、ひとりの女の娘が「わぁ」と声をあげた。Mくんの隣に座っていたその娘が見たのは、小学生が描いたとは思えないほどの臨場感溢れるMくんの絵だった。それは明らかに僕の絵とは一線を画すものだった。その時Mくんが描いていたのはサッカーをしている絵だったのだけど、ボールを争っている息遣いが聞こえてきそうだった。でも僕は「漫画とは違うから」と強がって心の何処かで認めなかったが、後で漫画を描かせてみてもやはり上手いのであった。その時、僕は小学生ながら悟ったのである「もう漫画は描くまい」と。丁度その頃からファミコンが流行り出したのもあったが、以来本当に描くことに興味がなくなってしまった。 その年の12月に僕の誕生会を開くことになり、クラスの大半の男子を招待した。しかしそこにMくんの名前はなかった。仲の良かったKが「Mくんは嫌いだから」という理由だった。確かにちょっと目立つ存在のMくんは嫌われていた節もあった。帰り際、Mくんに誕生会に呼べないことを告げると「プレゼントだけあげるよ」と作りかけの旧ザク(ガンダムのプラモデル)を持って来てくれた。プレゼントを渡す時のどこか寂しげなMくんの顔をみて、本当に申し訳ないなぁと思った。しかし、僕の中でも自分より絵の上手いMくんが何処か許せないところが、今思えば無意識にあったのかもしれない。罰が当ったのか、その誕生会も最悪なことになったし…。 結局、Mくんは5年生の時にまた転校して行った。それから全然噂も聞かないが今はどうしていることだろう。絵に関係する仕事にでも就いていれば、僕の壊れたガンダムも成仏出来るのかもしれない。
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