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みんみん



 竜頭蛇尾

勝ったり負けたりする存在としての犬あるいは猫、の可能性あるいは不可能性について。



「負け犬」と「勝ち犬」の話再び。
ただし本題とは違った感じで。

『広辞苑』に「負け犬」の立項はあるが、「勝ち犬」はない。
「負け犬」はいったいいつ頃から使われているのか。いつもの如く『日本国語大辞典』(第二版)の用例を見ると、いちばんはじめに、

*負け犬(1946)〈荒正人〉「べつのことばでいへば、負け犬(アンダ・ドッグ)になったのである」

とある。日国は、確認しうる限り古い用例を載せるというのが方針だから、一応これが初出ということにしてよい(もちろんそれより古い例を見つけるなんてことも当然ある。辞書は絶対ではないので)。わりと新しい言葉なんですね。1946年を新しいとみなすか否か、というところに人それぞれの立場が出ると思うが、いずれにせよ長い歴史を持つ言葉ではない。
「(アンダ・ドッグ)」というのはルビだろうか。「負け犬」はunderdogという英語から派生して出来たのだろうか。さらにここでOEDをひけばいいのか。
ちなみにunderdogの対義語はtopdogである(自由が丘にtopdogというホットドッグ屋があるなあ>余談)。「勝ち」「負け」どちらもあるようだ。どちらが早い言葉なのだろう。一方が早くて、どちらかは派生して後づけなんじゃないかという気もするが(印象、であって根拠なし)どうだろう。これもまたOEDが気になる話だ。


実は問題となるべきは「負け犬」という語ではななくて、〈勝ったり負けたりする存在としての犬〉である。がしかしそれは辞書をひいてはいおわりというわけにもいかないので、ここでおしまい。>おしまいかよ!


この問題は「負け犬・勝ち犬という語はあるのに、負け猫・勝ち猫という語はないのはなぜか」という疑問が某所で出されていたことに端を発する。もっともな問いである。
犬はしっぽを巻いて逃げる、というのは本当なのだろうか? しゅんとなったりするのだろうか?
うちの縁側に来る猫たちを見ていると、弱い猫ほど身体を大きく見せようと威嚇して大変そうだ。威嚇するか、でなければ一目散に逃げるか。ワタシマケマシタワというような状態をあからさまに見ることはない。しっぽが太くなることはあるが、あれは負けたというより単にびっくりしているように思うし(びっくりしたもん負けという考えもあるが)。勝ち負けというのが猫にそぐわない気がしてならないのだけれど、どうでしょう。>その道の諸先輩方

剛田(うちに来る茶トラの猫)を見ていると、強いとか弱いとかってなに?って思ってしまうのだ。
「気まぐれ」などというのとはまた違う意味合いで、猫の性質が好きなのかも知れない。ひねりの入った素直さが。ちょっとわかりやすくひねくれている人とスナオに付き合うというのが、実は好きだったりするので。

こんなオチになるとは自分でも思っていませんでした。

2004年03月20日(土)
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