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■ 子供の生活
あるいは反応として(一部)。
富山にはツバメ調査というのがあります。 小学生(主に6年生)が調査員となって、各担当の地区の家々に「ツバメはいますか」とたずねてまわるという調査です。時期は5月上旬、ちょうど田植えが済んだ頃。かつて私も調査員(えへん)として参加しました。 調査項目は、それぞれの家にツバメの巣があるかどうか、また成鳥・幼鳥はいるかどうか、といったようなものです。たしか悉皆調査が基本のはずなのに、今の家になってからはいちどもたずねてきたことがないよ?>S谷小学校
飼っていたハムスターやセキセイインコが死んだ時、家の庭の片隅を掘って埋めてやりました。目印の大きな石を置きました。ばあちゃんが「成仏できるお経」というのをあげてくれました。泣きました。 昔は、埋めるということはしないで、川に流したようです。下水道がまだ整備されていなかったこともあるでしょう。幼なじみの家には三毛猫がいて、年配ながら毎年のようにお産をして、でもうまく育たなかったり、育てられなかったりして、その家のおじいちゃんだかおばあちゃんが近くの赤江川に流しに行ったという話をしばしば聞きました。幼なじみはその都度とても悲しんでいました。気が強い彼女のことを、私はちょっと苦手だったのだけれど。
飼ってやれない猫を川に捨てに行くという話も聞きました。同じ小学校の校区の、私の家から近くはないところにわりと大きな川があって、そこにはよく猫が捨てられているというのでした。 その川の近くに住んでいる同級生がいて、遊びに行った時、砂利道になっている川の土手を2人で歩きました。ふと足元を見ると、小さな白いものがありました。それは動物の頭蓋骨でした。たぶん猫の骨だったのだろうと思います。骨は完全に乾燥していました。それが魚と鶏(の足)以外の動物の骨を見た最初です。
実家のすぐそばに駅があるのですが、駅舎がまだ古かったころ、建物の角に猫がどこからかやってきて、そこで死にました。誰も猫を動かさなかったので、死んだ猫は少し腐乱していきました。どのように腐乱していったかは覚えていません。ただ、恐かった。駅に行かないわけにはいかないけれど、確実に猫の痕跡がなくなるまで(そのうち誰かが取り去ったのだと思う)、すぐそばの公衆電話にも、トイレにも、大きな柳の木にも、近寄ることは出来ませんでした。
河原も、駅も、誰にも所属しないトポスで、というのは、後付けの説明です。
猫を、かわいいとは思うのにどうしたらいいのかよくわからないまま大人になりました。 そして目を開かせてくれたのがのいだったりするわけですが。
2003年06月10日(火)
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