酔陽亭 酩酊本処
いらっしゃいませ。酔陽亭の酔子へろりと申します。読んだ本や観た映画のことなどをナンダカンダ書いております。批判的なことマイナスなことはなるべく書かないように心掛けておりますが、なにか嫌な思いをされましたら酔子へろりの表現力の無さゆえと平に平にご容赦くださいませ。
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2003年11月25日(火) 『瑠璃の海』 小池真理子

 萌は高速バス事故で、夫・孝明を亡くしてしまった。孝明の突然の不在に馴れることができず、とまどうばかりの萌。ある日、被害者の会に参加し、娘を失った作家・遊作に出逢う。互いに被害者の会参加者たちのテンションについていけず、似たようなひっそりした喪失感を感じあっていた。しかし、萌はそんな遊作とすら傷を舐めあうことを避け、ひとりでどんどん暗闇に落下していく。もう会うこともないはずだった。萌が遊作の著作『瑠璃』を読まなければ。『瑠璃』の文章に世界に惹かれた萌は、ふたたび遊作と連絡を取り、ふたりは貪るように互いを求め合うのだった・・・。

 時々考えることがあります。私が経験したような死へのカウントダウンがはじまった愛する人間と最期まで時間を共有することと、ある日いきなり愛する人間を失うこと。いったいどちらが残された者にとって生きやすいのだろうって。でも私にはゆるやかに死に向う感覚しか知らないから、わからないまま。
 今回、この物語の主人公たちは事故で突然に愛する人を失ってしまいます。その不在のおおきさは読んでいてひしひしと伝わってくる。人はいずれ死にます。だけどやはり早すぎる死を受け入れなければならない人間には過酷な試練となってしまいます。
 萌と遊作が溺れるように愛し合う感覚も痛いほどわかってしまった。萌と遊作はたまたま不幸の後にまた運命の人と出会えたことが幸せであり、不幸でした。ふたりと言う組み合わせでなければ、この結末は絶対になかったはずだから。
 萌が母親のことを考えながら、最後にこの結末を選んだことが私には許せませんでした。自分だって喪失の恐ろしいほどの孤独を感じておきながら、愛する母親に同じ思いをさせるのか、と。
 あぁ、こういう物語はあまりにも感情的になりすぎる。駄目です、私。

 それと同時に、どれほど激烈なものであっても、その悲しみはいずれ癒えるのだ。時間が解決する。現実を受け入れられずに、泣いたり、喚いたり、絶望したりしながらも、いつか必ず、その傷は塞がっていく。流した血の量が多ければ多いほど、傷のかさぶたは厚いが、ひとたびかさぶたができてしまいさえすれば、血の流れは止まるのだ。

『瑠璃の海』 2003.10.30. 小池真理子 集英社



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