│←自分の許容範囲を知る→│
友達を広く作るのは、昔から苦手なほうだった。 いつか自分が見放されたとき、誰も私のことを真剣に考えてくれたり、 相談に乗ってくれたり、話し合える人間が居なくなるのではないかと恐れ、 浅い友達関係をできない性質であるので、どうしても 深く・狭く、になってしまう。 それが今までの自分の、ひとつのコンプレックスでもあった。
しかしながら、今日、もとこたんに診察してもらったとき、 私は何もそんなことは口にしていないのに、 もとこたんは、友達関係があまり広くないなぁ と微笑を交えて、私に言ってくれた。 その時、言いようのない共鳴を、彼女の心に感じる。
自分には許容範囲というモノがあるから、 あまり無理に、多くを増やそうとしなくてもいい。 自分の心が許せる人が居れば、数など関係ないのだと。
誰かが言ったような言葉だけれど、 私の心は、一部分、救われた。そんな気がしている。
〄
死にたい気持ちがいつまで経っても消え去ってくれない。 べたな話だね。…
思春期に良くある躁鬱の波が、起こっているだけじゃないの? 波が引けば、また、前向きになれるょ。 だから心配しないで?
はぃ。やめて下さい。 本当に、その通りですから。 死にたいなんて言うことは、ただ注目を引きたいだけだと仰いますか? これから回復に向かおうとする為の葛藤だと、私もそう認識しております。 心配はします。不安でたまらないのです。 どうして、夜に眠れますか? 朝になって冷たくなるのが恐くて、咽喉を一突きにされるような想いが渦を巻き、 どうしても目が開いてしまう。 目を瞑ると、自分が首を吊っているシーンや、8階から飛び降りた後の醜く汚い自分や。 薬を飲む気には、なれんくて。 不安を解消していけたら良いのに。 少しずつ、歩けるようになってきた。血液検査の値が基準値に戻るまで、 安静にしておいたほうが良いと言われた。 私は、歩きたい。 前向きになんてならなくていい。 後ろを時々振り返ることが、間違いを防止する策ではないのか?
自分は、誰にも頼ってはいけないような気がする。 自分を守るのは自分しか居ないのだと、 手首を切っても一人ぼっちなのに変わりはないのに。 手首を切っても得るところ無いのだから、結局・私は、損をしている。 …損を…… きっと、どんな仕事に就いても、 苦労というものは堪えないのだろう。 人間として生きているからには、 悩みは付き物なのだ。 一人一人の人を、どんな言葉を投げ付けられても尊敬できるようになった。 貴方が選ばれて生きているのにも理由がある。
〄
助けて。なんて、もう言わない。 吐き気がする。気分が悪い。 もとこたんに切ったことを話した。其れによってまた、リストカットは伝染したことはまだ伝え切れていないけれど。 また、診察のときに、ミネソタ州での思い出を徐々に話してくれるようだ。 それから、もとこたんが、その頃の 写真を持ってきてくれることになった。 なんだかもう 医者と患者の関係を超えたようで、幸せすぎる想いだ。 次の診察が楽しみ。
もとこたんと離れたくない。 まだまだ、話していたい。見つめていたい。
でも、ずぅっとこんな病気のままで、こんな不安定な状態のままで いるわけにはいかないし、 私は留学をして、世間を知らなくては。 私やもとこたんが去ってしまう其れまでに それまでに、もとこたんとたくさん話をしたいと思った。
また、日本に帰ってきたら逢えるかも知れないから、 私は自分のやりたいことを、せいいっぱい・すれば良い。 胸いっぱいの悲しさに負けるわけには。…
すき なんです。 お許しをいただけませんか。§2003年06月06日(金)§ |