│←「 しばらくすると、あなた方は、もうあたしを見なくなる 」→│
悩んでいるのは、苦しいのは、 「辛いのは、あなただけじゃない bY aiko」 あたしは、そのaikoの歌詞に強く共感を覚えました。 エンピツという日記コミュニティの、苦悩/心というジャンルでは、 なんと1351人もの人が、日記を書いているのです。 ジャンルの説明は、『心の病や悩み事など』です。 あたしはそのジャンルに属しているわけですが、 本当に、 悩みのある人は多いし、病院に通っていらっしゃる方も 多いと思います。
エンピツで日記スペースを借りている人が 21867人居るのですね。数えてみて(暇人ばればれ)吃驚しました。 一つの総合大学に通う学生全員が書いていても良い訳です。何 でも、あたし、(数えるのを)頑張りました。 こんなことやってちゃ嫌われ者になってしまいそうです。 頭痛が止まりません。なんとも苦しい日です。 生理二日目&リスカ最高潮なので、もうふらふら。 正直、生理が来て嬉しいです。産んでも育てられないから。 ε-(ーдー)ハァ そっちは崖ですよ。 * * * もう最終回を終えてしまったけれど、昔から見ていた 時代劇・水戸黄門の歌の歌詞に 「 人生楽ありゃ、苦もあるさ。涙のあとには虹もでる 」 というくだりがありました、そうして、誰もが 「 私たちの人生には、苦しい悲しみの時もあれば、喜びの時もある。 悲しいこと、うれしいことが交互にやってくるのが人生なのだから、そのうち 良い事もあるはずだから元気を出しなさい」 と言うのでしょう。 聖書にも同じような言葉が在ります。 「 弟子たちの悲しみは、しばらくすると喜びに変わる 」と。 でも。これは水戸黄門の歌とは意味が違うと、あたしは思うのです。 聖書に記されたその喜びは、”決して奪い去られない喜び”であると。 ”悲しみ”や”苦しみ”は、誰にでも来るものです。そうして、”楽”や”喜び”も。 例え、その後に、悲しみの出来事が起きたとしても、喜びは無くならず むしろ、圧倒的な喜びに支えられている中で、 悲しみの出来事を受けとめられるようになるのです。 このことは、 あたし達の人生を海の波に例えると、下のように表現することが出来ます。 表面は悲しみや喜びといういろいろな波が立つのですが、喜びの海流がいつも変わることなく、流れているのです。 その流れの中で、あたし達は、色々な波と出会うのです。 この「 奪われることのない喜びにさえられた人生 」が、あたし達にも与えられているのです。 今、眼に見えているのは、悲しみ・苦しむ・波なのでしょう。
あたしはキリスト教を信仰していませんが、 少しだけ、聖書を眼にする機会があったので、 偉そうに書いてしまいました。
桜はひらひらと舞う。 しかしながらそれは、「踊っている」わけではなく 今まさに、「散っている」のだ。 人はいずれ死んでしまう、桜はいずれ散ってしまう、 その二つは同じなのかもしれない。 死に方や散り方が問題なのではなく、生き方や咲き方が 問題なのだ。
§2003年04月10日(木)§ |