│←バイオリンを弾くように、左腕を切れ。→│
あたしの肌とは異質の金属のものが、身の中に沈んでいく。
黒い喪服を着た女性が、あたしの部屋へ入ってくる。 見知らぬ女性ではない。子供の頃から酷くあたしを可愛がってくれた人だ。 今日は、彼のお通夜だ。 周りに居る人が、次々に亡くなって行く。 母の同僚だった。母は『おねえ』という愛称で呼ばれていて。 夏にはバーベキューを、彼の家族と、しに行ったことも在った。
朝にインタァホンが鳴ると
「宅急便です」 というインタァフォン越しの彼の声。 ロックを解除すると、ドアの前まで来てくれて、 いつも 「じゃぁ、サインしとくわ」 と爽やかに言って、足早に去っていく。 大切な人からの荷物が届く喜びと一緒に、彼の笑顔もあたしの元へと届く。 でも。今日は彼の笑顔はあたしに届かなかった。 違う人だった。 母に、彼の死を聞いた時、 嘘だ と。 だから、半分陽気になって聞いていた。 彼は本当に、死んでしまったのだ。だから今日の 「宅急便です」は彼の声ではなかった。あたしは、贈り物の伝票に、 自分の手でサインをした。 昔、葬儀屋に勤めている人の日記を、読んでいたことがある。 もう、閉鎖してしまったかもしれない。人が死んだときの その周りの悲しみが伝わってくるようで、途中で読むのをやめてしまった。 その人の日記の沢山の言葉の中に在った ひとこと を未だに覚えている。
『死体を見て泣くな。死人の生きていた事を思い出して泣け。』
葬式に参列した人たち、死体を見ながらハンカチ片手に泣く。 嘘の涙を。否、清らかなる涙でしょうか?
ご冥福をお祈りします など、言えない。彼の居たあたしの生活のワンシーンは、ずっと心に在り続けるのだから。忘れない。 この「忘れない」を嘘にはしたくない。彼の死んだ青白い顔ではなく、笑顔を刻んで置きたい、そう願うのです。
あたしはまだ、彼を求めていたのだと、今頃になって気附く。彼の笑顔がまた見たい。 大切な人からの贈り物と一緒に 彼の笑顔が見たかった。たった一瞬でも良かったのだ。 あたしは幸せだった。 彼が手に取った、大切な人からの贈り物が運ばれてくる。 その瞬間が。
母は、彼のお通夜に行かなかった。 本当のお別れは、まだ。 彼の死因は、心臓病。 本当? あたしはその言葉を信じてきたけれど、 あたしの歩く先を照らしてくれる人は、 やっぱり、母なのだろうか。
母は、あたしの心の中は空っぽなのだといいます。 何も考えることの出来なくなるほど悩んでいると、あたしはそうは思いません。 悩んでなどいないのです、辛くなど無いのです、空虚な心を抱いてはいないのです、心の中には常に細い針が存在しているだけなのです。 其れが時折あたしの心の壁に当たり、チクっという痛みを伴って 脆い内側を突き刺していく。 あたしの心の中には、針が在るのです。
§2003年04月07日(月)§ |