│←今を大切にできないなら、未来を大切にすればいい?→│
@あんた、何言ってんの?
未来を大切にするほど希望や余裕があるなら、とっくに今を大切にしているでしょうに。 死んでプラスになるか、マイナスになるかどうか、まだ解らない。 でも。生きることが、辛くて苦しくて息もできない人にとって、おそらく、死ぬことはプラスだよね。 その人は、周りで必死に生きてる人から見たら、自分勝手のように想えるけれど、その人は死が自分の幸せなのだから、幸せにしてあげればいい。 生きていても、何の希望も見出せないのだし、その人は、近くにある幸せを見つけようとせず、遠くに霞んで観えてる死の幸福だけを欲していて、『どうせ、私が死んでも誰も悲しまない。』などど現実の世の中で、いかにも傲慢で怠慢に生きていくのです。生きることに疲れたその人にとって、死こそが幸福なのです。 私の様な人間に、その人の幸せを奪う権利など、何処にも無い。
唯、死によって、奇麗さっぱり、全て全部が『無』になるのが、勿体無いと言いたいだけです。 死にたいって気持ちは、勢いだけではなくて。 ずっと、痛みや傷つけられたその瞬間を忘れることは無理で、徐々に死を考えていくのだけれど。 死ねば、今は楽かも知れないけれど、死んでから意識があれば絶対後悔するなんてコト、ありませんからね、多分。 死んだら『無』になるのだから。何も考えなくてもいい、自分其の者が無くなって。 生きる事に疲れた人間が欲する、当たり前の欲求。死。怠慢。 傷を背中に負うのが、辛い人にとって、これこそが幸福。死。 そんなに幸福を求め続けるのならば、ほらすぐに、死ねば? 誰も、貴方が死んでも泣いてなんかやらない。 赤い液体や汚い者達にまみれて、腐食すれば? 何が起こっても知りませんよ。 死後の世界がどうなってるとか、私には解りません。 その様な世界が存在するのかどうかも、現に生きている私たちは知らないのです。 知りたいけれど、一度、死んでみなければなりませんからね。 もう一度、この世の中に戻って来れる確かな契りなど在る筈も無いですから。 でも、自分を、ずたずたに虐めて、ぼろぼろに切り裂いて、なおも死に近づけず、未遂に終わりことがあれば、自分の幸福を、もう一度だけ、見つめてみてくださいまし。 今を大事にできないなら、未来を大事にすればいいじゃない、なんて安易な言葉は使いません。
こうどく。
§2002年04月06日(土)§ |