2004年04月17日(土) |
『天使と術師と探偵と』No3 |
No.3 「春なんだよ、頭が」
泣いているキリエの頭を何度も何度も撫でながら、ヤヒロが事務所の奧、住居へと続く入り口に目を向けると、いつからか黙って様子をうかがってたらしきイザリと目があった。 言葉無く苦笑してみせると、一瞬だけ申し訳なさそうに眉を下げ、控えめに口を開く。 「お昼御飯、オムライスでいいですか?」 その言葉に、ソファーに沈み込んで、意味もなく体をゆらゆらさせていたキタが勢いよく背を伸ばす。 「キタさんも、食べますよね? オムライス」 「あ、良いの? 悪いなぁ」 ちっとも悪びれずに答えるキタを軽く睨みながら、 「頼む。実は腹減って死にそうだったんだ」 ヤヒロは思い出してそう言った。頷いて奧へと姿を消すイザリを見送ってから、キリエにそっとソファーを勧めて、その隣に座る。できるものなら、料理の手伝いくらいしたいような気もするが。正直なところ、不慣れなヤヒロが中途半端に手を出すよりも、イザリが一人で準備した方が、無駄なく早く終わるのだ。 しばらく無言で、時をやり過ごす。泣きやんだキリエは、気恥ずかしそうに下を向いたまま、足をゆらゆらと揺らしている。そう言えば、泣いているキリエを見るのは初めてかも知れない。と、ヤヒロはぼんやり思った。 キタは相変わらずのマイペースで、怠そうにソファーに沈み込んで、勧めても居ないうちから当たり前のように紅茶を口に運んでいる。 ヤヒロは、キリエに聞こえない程度に小さくため息をついて、ソファーもたれた。 ここで、煙草の一本でもふかせば、あるいはハードボイルドっぽくなるのかもしれないが。不幸にもというべきか。キタもヤヒロも、煙草とは縁のない生活を送っていた。ヤヒロの場合は、単に煙草が旨いと思えなかったからであり、キタの場合は、情報収集のためにどこかに潜伏する際、匂いで存在がばれると困るからである。 ハードボイルドは精神論。思わず、キリエの言葉で自分を慰めてしまっている自分に気づき、ヤヒロは内心でもさらにため息をついた。 「お待たせしました」 鼻をくすぐる美味しそうな香りとともに、イザリが一気に四つお皿にのったオムライスを両手で運んでくる。ふんわりと艶やかで柔らかな黄色い卵に上に、真っ赤なケチャップでそれぞれの名前が書いてある。「ヤヒロ」「キタさん」「キリエ」……。 「……お前だけ、ぼく。なのか」 「自分で自分の名前を書くというのも、どうかと思ったものですから……」 名前の主の前に並べながら、イザリが笑う。目の前に置かれるなり、スプーンで名前を崩しに掛かるキタの手を素早くはたいて止まらせ、イザリが席に着くのを確認してから、ヤヒロは手を合わせていただきますをする。キリエも続いて、小さな声でいただきますと言った。 「学校給食を思い出すよなぁ……」 はたかれた手を恨めしげに眺めながら、キタがぼやく。 「礼儀は大事だって、何度も言ってるだろうが。お前は一度、小学校から礼儀を学び直してきたらどうだ?」 「大きなお世話だよ。それに俺だって、礼儀が必要な場所ではきちんと礼儀通してる」 甚だ信じがたい言い訳をして、キタはオムライスを口に運ぶ。キリエもすっかり元気な様子でオムライスを美味しそうに食べていた。 「ところでさぁ、イザリ君。そろそろ何か、ネタ、ないのかなぁ?」 あっという間にオムライスを平らげて、ティッシュで口のまわりを拭きながらキタが言った。 「何かって、何ですか?」 視線をオムライスに向けたままで、イザリが答える。 「嫌だなぁ、とぼけちゃって。ネツァフのことに決まってるじゃないか。堕天使なんだろう? イザリ君」 ネツァフ。キタが今一番興味を抱いているカルト集団であり、今、巷で一番話題の宗教組織である。所属している信者を「天使」と称し、そこから抜けた人間を「堕天使」と呼ぶ。天使でありながら、崇める神もまた天使であるという、ちょっと理論的におかしな組織なのだが。どういう訳だか、十代から二十代にかけての少年少女に絶大な支持を受けているという。 「違いますよ」 穏やかな笑顔で、しかし、そっけなく答えるイザリをまじまじと見つめながら。 「そう? そうかなぁ。すっごく、天使の香りがするのになぁ」 キタは真面目な顔でそんなことを言った。 「……香り?」 不思議そうな顔で、キリエが問い返す。 「そう。香り。ミステリアス。かつ、幽かに官能的な香りだね。天使特有だよ」 わかるかい? 信仰はいつだって、香りを伴うものでね。俺はその香りが好きで好きで好きで好きで好きで好きだから、ついうっかり追いかけちゃう訳なんだけど。 どこか遠くを見つめながら、まるで愛を歌うように語るキタ。 その様子を驚いたように目を見開いて見つめているキリエに。 「まともに聞く必要はないぞ」 ヤヒロはそっと耳打ちした。 「そうなの? 大丈夫なの? キタさん、目が遠く見てるけど」 「気にするな。春なんだよ、頭が」 いつものことさ。そう続けながら。ヤヒロは最後の一口となったオムライスを、名残惜しそうに食べきった。
No.4 「似合わない顔すんなって」へ続く
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