管理人の想いの付くままに
瑳絵



 雨に溶けた傷痕(お題:25) 後編

20050626の続きとなっております。



 雨に溶けた傷痕 後編


「俺ね、兄貴がいたんだ」
「お兄さん?」
 初めて聞く兄の存在に紅玖は驚きの表情を浮かべる。尚次郎は一人っ子なのだとずっと思っていたのだ。確かに、彼の名前に対して違和感を覚えたことはある。だが、尚次郎の口からも輪太の口からも、一言も聞いたことのない。輪太に着いて尚次郎の家に遊びに行ったこともあったが、一度も会ったことがない。
(それに……いた?)
 紅玖が引っかかっているのは、尚次郎の”兄貴がいた”という、過去形の告白。それが意味することなんて考えられるだけでも僅かな理由しかない。そして、尚次郎の行動を照らし合わせれば……自ずと答えは導かれる。
「俺のせいだって、そう言ってた」
「……え?」
 思わず発した紅玖の声も、今の尚次郎には届いていなかった。

 尚次郎の脳裏に、鮮明に思い描かれる場面。兄、亮太郎(りょうたろう)の後姿。
『俺が消えるのは、尚次郎、お前のせいだよ』
 言い聞かせるように、ゆっくりはっきりと紡がれた言葉。その口元に浮かんだ笑み。それは、悪夢のように雨が降るたびに尚次郎の記憶の中でリフレインされていた。
 そして、その後姿は海の中へと消えていった。その映像は視界の悪い雨の中でも鮮明に目に焼きついた。
 浮く身体、落ちて行く兄に手を伸ばすどころか、指一本として動かすこともできなかった。尚次郎は、涙も声も出すことができないまま、ただ雨に溺れていた。

「なんで、」
 必死で涙を堪えている声。
 紅玖のその問いに、尚次郎はゆっくりと首を横に振った。
 「なんで?」なんて、もう何度も問いかけた。それでも、尚次郎はいまだに答えを出せずにいる。尚次郎が雨の度に水辺に行くのは、その理由を探しているからと、どこかでいまだ遺体の発見されない兄を捜しているからだ。
 しかし、尚次郎の心に、答えを出したくないという思いも同時に存在している。『お前のせい』という言葉が、彼を臆病にするのだ。
『尚次郎のせいじゃない』
 そう言った両親の瞳には、侮蔑の色が見え隠れしていた。目は口ほどにものを言うのだと、そのとき改めて実感した。

 亮太郎は優秀な人物だった。周囲に愛される人間だった。そして、尚次郎はそんな兄が大好きで、尊敬していた。比べられても、素直に自分の負けだと認めていた。不思議と、嫉妬や嫌悪、憎しみといった感情は生まれなかった。
『そんなの、お前の兄貴が弱かっただけだ』
 それは、全てを話したときに輪太が放った言葉だ。
『だから、尚次郎は悪くない』
 人の心の機微に敏い輪太は、少なからず亮太郎の行動の原因が分かっていたようだった。
『光は、闇を浮き彫りにするんだ。そして、闇を呑み込もうとする』
 呟くように落とされた言葉。尚次郎には全く意味が分からなかった。それは今でも同じだ。そして、それを悔しいと思う。
『忘れなさい』
 両親は言った。でも、輪太は違った。
『癒せよ。見守っててやるからさ』
 ”癒せ”と言ってくれた。彼だけは、尚次郎に鮮やかに残っている傷痕に気付いていた。だから、彼の『お前は悪くない』という言葉は、きれいにその傷痕に吸い込まれていった。

「でも、もう輪太は居ないんだ」
 その呟きに、今まで唇を噛んで涙を堪えていた紅玖は、尚次郎の背中に抱きついた。しっかりしているのに、どこか儚さを漂わせる背中を繋ぎとめたくて。その背中で静かに涙を流した。
「癒すよ、」
「え?」
 急な言葉に、尚次郎は目を瞠る。
「お兄ちゃんじゃなくて、私が傍に居る」
 今、ここに居る。と、くぐもった声で告げる。
 ”至急、学校横の川原に行ってくれない?”
 あのメールは、依頼形だけど命令形で、裏には挑発とも思える感情が込められていたように感じる。
「癒すよ。その、あまりに鮮やかすぎる傷痕を、貴方が癒せと言うのなら――、癒してみせるから」
(だから、頼ってよ。お兄ちゃんじゃなくて私を)
「癒していこうよ」
 私たちにしかできない、私たちだからこそできる方法で。
「……ありがとう」
 小さいけれどはっきりとした声。紅玖は涙が更に溢れるのを感じて、抱き締める腕に力を込めた。
 しかし、それを意図も簡単に外した尚次郎は、今度は正面から紅玖を胸に抱き締めた。紅玖も、しっかりと背中に手を回す。

 そんな二人の光景を、川原から少し離れた場所で見つめる影。その手には、紅玖の傘にも負けない、空の暗さを吹き飛ばすような鮮やかなオレンジ色の傘が握られていた。
「闇は、光から逃げると同時に、光を闇に変えたかったんだよ」
 誰に聞かせるわけでもなく、小さく零れた言葉。それは、いまだ尚次郎が辿り着けていない答え。
 その人影は、どこか寂しそうで、それでも優しい眼差しで寄り添う二人を見つめていた。
「癒してくれよ」
 そう呟いて、その人影は川原に背を向けた。



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お題最長小説……下手すると短編より長いかも。(汗)
25.あまりに鮮やかすぎる傷痕を、貴方が癒せと言うのなら―――
を使用。

またもある意味オリジナルだし、あといくつかオリジナルきます。
とにかく、久々お題更新。
また薄暗い話ですね〜←人事かよ。
なぜかお題小説は薄暗い話が多い……。

お題11個目!多分次も薄暗い話になります(苦笑)



2005年06月27日(月)
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