みやにっき
詩人を名乗ることにした。

2002年06月14日(金) てっぺんあばくもの

今日のタイトルは『帽子』(2001年7月ごろ)より。
これは未発表ですな。
床屋を「つむじをあばくもの」と言っちゃう,クラフト・エヴィングが好きだ。

と,たまには順番を変えて始まってみましたみやにっきです。
相変わらずの過去日記,これは20日に書かれています。
まあぼちぼちと,ぼちぼちと。



この日も話し合いは長かったのでありますが。
その分,同僚に車で家まで送ってもらって助かった。
どうにも最近体調が良くなくて,帰りにてくてく歩くのが億劫でしょうがない。
早く車が来ないかなあとも思うのだが。
しかし。
こんだけ歩いていて痩せないのだから,楽になったらもう歯止めが効かない気がする。
ぶくぶくにゃんこは愛せないのよ!
せめて今現在の「ぷにぷに」で勘弁。

この二の腕ぷにぷに。
ウエスト回りぷにぷに。
あと,おしりぷにぷに。
首のラインはまあまあ素直に綺麗(自分で言うな)

しかし実は,肉よりも悩みなのは肌質だったりするのである。
僕の二の腕や太ももは,ぶつぶつとしている。
母も妹もそうであるから,何か血筋的なものなのだろうか。

「生まれつき」というものを憎んだ時期もある。
「選べないもの」を憎んだ。
左目がもともと悪くて遠近感が分からない,とか。
抵抗力が低く傷が化膿しやすい,とか。
風邪をひきやすかったり,とか。
エビ・カニにアレルギーがあって口の中がかゆくなったり,とか。
肌がぶつぶつとしている,とか。
一重まぶたである,とか。
髪質が太く固いくせにくせっ毛ではねてひろがる,とか。
僕は女なので出なかったが,色弱の要素も血筋としてはあるので,子どもが心配,とか。
とか,とか,とか。
僕が選んだんじゃないのにと,親を憎んだ時期もある。
でもそれは僕の親が選んだわけでもないのだ。
彼らも,選んだんじゃないのにもって生まれてきて。
みんなおんなじなんだなあ。

と。
ぼんやりと,中学の時にやった演劇の話を思い出していた。
産まれる前の国で,自分が産まれた後の運命を知ってしまった子どもたちの話。
一人はぐれて高校を中退し,バイク事故で重症を負う。
一人は受験勉強に疲れて,高いビルの屋上に立つ。
一人は生まれつき,右腕がない。
一人は生まれてから一週間でコインロッカーに捨てられる。
はじめの三人は自分の人生に絶望して,産まれることを拒もうとするのだけれど。
最後の一人が産まれることを選ぶことから,物語は変化する。
「あたし,生きてみる。
 せめて精一杯,泣き叫んでみる」
そう言って彼女はその国を出て行き。
結局,やはり死んでしまうのだけれど。
「選べないもの」に精一杯抗った姿に,残りの三人も産まれることを決意するのだった。
「さようなら,僕の右手。それでも僕は…」
三人目の少年の独白で舞台は幕を閉じる。
以上。

ちょっと論旨が違うけれども,「選べないもの」つながりということで。

僕は自分に責任を負いすぎるところがあって。
何か悪いことが起こると,つい「自分の努力不足だ」などと考えるのだけれど。
選べないものがこの世の中に多分にあることは確かなのだ。
この時代にこの国にこの土地にこの家庭にこの身体で産まれた僕たち。
しょうがないじゃないか。
しょうがないじゃないか。
だったら受けいれるしかないじゃないか。
この時代に立って。
この国にこの土地にこの家庭にこの身体で立って。
すとんと受けいれて受けとめてそれか。
それから何をどうするか,じゃないか。
時代を国を土地を家庭を身体を憎むより先にできることがあるはずなんだ。
とか,自分に言い聞かせてみたりする。

親を憎むよりも先にやることがあるはずなんだ。

という,説教じみたことを書くけれども。
この日は外食しに行ったので満足です。
自分に何らかのご褒美ということで,おさしみをいただいてしまったぞ。
ご機嫌で歩いて帰ってきてそのまま寝てしまったぞ。
次の日締め切りの痙攣原稿に手もつけていないことなど忘れて。
どのように仕上げて締め切りに間に合わせたのかは,次の日の日記をお待ちあれ。
ふふう…。



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