みやにっき
詩人を名乗ることにした。

2002年06月05日(水) よしこちゃんのピアノは もう うたわないのだ

さて,8日の分までまとめupに入ります。
みやにっきは全部読むんだい!という奇特な人は,さかのぼって読んだりしてくだされ。


5日に書いた日記。

昨日から高い声が出にくくなり,ピンチでパンチなみやぎです。
目覚めたら少しはマシになっているかしらと希望を抱いて眠ったら。
起きたら完全に声がなくなっていました。
あーらららら。
普段の高さで声を出そうとすると,空気が浅く漏れるばかり。
自分の一番低い声にすればなんとか発声はできるのだが。
もともと出しにくい音域なので,音量が圧倒的に足りませぬ。
ささやくように叫べっ。
合同の授業のT1はさすがに交代してもらいましたが。

教師の一番の商売道具は,声だ。
もちろん,他の手段も重要。
板書やら教材教具やら,立ち居振る舞い,視線までも武器ではあるのだが。
(僕は基本的に教師は「役者」だと思っている)
でも何が一番便利で確実な道具かといったら,声だ。
その声が僕は今,使えない。これは痛いかなり痛い。
僕はパントマイマーではない。
さあ想像しよう,舞台の上の一人芝居を,声を使わずに45分演じきる自分を。

うあああああん。

まあ,今の職場では教壇に立つという機会もほとんどないのだけど。
やはり声が出ないのは痛い痛い痛い。
「さあ,着替えるよ」の一言が言えないがために,現物を見せ身振りと手振りを駆使し。
ましてや「コップをとっておいで」なんて「ブランコをやめて教室に戻ろう」なんて。
「紙をとってお尻を拭いて」なんて「友達を叩いちゃだめ」なんて。
どうやって伝えればいいんだあああ。
悪戦苦闘,『言語』の原点を今さら垣間見ているような気がする。

うあああああん。

しかし一番痛かったのが,咄嗟に叫べないことである。
子どもが教室を飛び出したのに,担当の教師に向かって「○○君,出ました」と叫べない。
他傷行為のある子が他の子に向かって走っていくのに「○○君,行きます」と叫べない。
危険認識の低い子が危険なことをしようとしているのに「あぶない」とさえ叫べない。
ではどうするか。
しょうがないから,自分で走るのである。
始めは,身振りで何とか伝えようとしたのだが,間に合わない。
なんか一日中,走ってました。
ひたすら走ってました。
口下手な人間は態度で示すんです(違)

うああああああああああああああん。

子ども帰ったら早退して病院に行って注射。した。
疲れました久々に疲れ果てました。
なので,これから6月1日の分の日記書いて寝ます。
あれ?何か変?

以上,5日に書いた文でした。


今日のタイトルは『よしこちゃんのピアノ』(2001年11月)より。
これはtusk時代に,Verse-Vergeの群青詩賞で推薦をいただきました。
相方の反応:「仕事中に送ってくるなよぅ泣いちゃうじゃないかよぅ」


んで今日のお楽しみボタンぽちっとな。


↑押すと文章が変わったりのアレだ。味付けは塩コショウであっさりと。
おいしいんだよーあったまるんだよー。
元気になるよ。お試しあれ。


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