カンラン 覧|←過|未→ |
「ひな祭り」に「耳の日」。 それにこれは私,初耳だったんだけれど,「金魚の日」でもあるんだそうです。 前世が「縁日で売られていた金魚」だと言われた私としては無視できませんです。 何でも江戸時代には雛市で雛人形と一緒に金魚が売られていたそうで, うちに持って帰って並べて飾る習慣があったようです。 ・・・どうやら私は雛人形にはなりそこねたようですね。 私は金魚。 金魚は私。 きっとぷくりぷくりと泡を吐き出しながら, 横に佇むきれいな顔したお人形さんを羨ましそうに眺めていたんでしょうねぇ。 生きていることときらきら金色に輝くボデーがせめてもの慰めです。 金魚の金色は,水色のカァネィションと並ぶ人間のエゴの色ー! と信じて疑わなかったエスですが, どうやらこれ,約二千年前の中国には実際に野生の赤いフナが生息してたとのこと。 これが原種で,その後中国から渡来してからというもの 江戸時代中期頃までは非常に高価な観賞魚として扱われていたようです。 まさに金魚ニ歴史アリ。 ところで金魚にひかれない子供っているんだろうか? 縁日の夜店でにぶいライトの下, あやしげに揺れる金魚の姿にエスは何度興奮したことでしょう。 最初はね,スタンダァドな金魚にひかれるんですよ。 割りとちっちゃめで,育て甲斐のありそなやつ。(←ただし貧弱。) それから鯉っぽい模様のやつ。 その後最もあやしげな黒の出目にはしるわけです。 あのゆらりんゆらりん左右に振れる尾びれには, どこか『白鳥の湖』のオディールに似た危険な美しさを感じてしまふのです。 私が「お祭りに行きたい。」と言えば, 即座に「金魚はダメよ。」と釘を刺された記憶があります。 けどね,何度か買ってもらったこともあるんです。 深くて大きな海苔のびんに入れて玄関先の出窓のところで飼ってた。 そこに膝をついて眺めては, 小さく小さくちぎったお麩をぱらぱらと落としてやり, 大きな塊は自分のおくちへ・・・。 昔っからお麩好きな子供だったから。 それ以外に覚えているのは金魚くさい水のにほいぐらい。 そんなだから多分きっとどれも長生きしなかったような気がします。 大人になった今ならもっとうまく飼えるんだろうかと, 今でも縁日の金魚屋さんを見かけると立ち止まってちらりと考えたりします。 でも結局は自信がなくて後ろ髪をひかれるような気持ちで通り過ぎる。 悲哀な雰囲気がつきまとうのは金魚の宿命なのか, それとも自分のいい加減さ故なのか。 わからず終い。
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