カンラン 覧|←過|未→ |
彼女とはどんなことでも話せる間柄だけれど, よくよく考えてみるとこれからのこと(漠然とではなく具体に)について お互いの考えとかっていうものを語ったことはなかった。 現状とは違って,一緒に過ごすことのできる時間がたっぷりあったとういのに。 そしてそれはきっと,私という存在自体がそんな話のできる人間でもないからだろう。 そりゃ学生時代の就職活動の時にはその時期ありがちな話はしたけど, 今振り返ってみるとそれはそれは中身のからっぽな会話だった。 今まで学校に通ってればよかっただけの私達が 「はい,あなたたちの番が来ましたよ。」とぽんっと肩をたたかれ いわゆる大人の世界に押し出されるわけだ。 ところてんみたいに。 ある人は手当たり次第に, ある人はある程度の狙いを定めて, いくつかのドアをドアを細ぉく開けてそこに広がる空間を覗いてみる。 ちらりとね。 そうやって行き先を決める。 ある人は満足そうで, ある人は不満なのかも知れない。 結局のところ,その最初の気持ちっていうのは良くも悪くも裏切られるもんなんだけど。 最初に決めたドアの向こうで一生過ごす人もいれば, そっからまた別のドアを開ける人もいる。 これはその時になってみないとわからないことであり, どっちが良いとか悪いとかの問題でもない。 そんなだからとにかく中身のない話をしていたわけだ。 それはそれでそうあって然るべき時期。 かと言って別に今が中身がいっぱいつまった時期というわけでもないんだけどね。 で,しいさんは今,次のドアを開けるべく日々準備してるんだ。 実際,今の仕事を続けながらの勉強は大変だろうと思う。 メールの中でしいさんは言った。 「私はやっぱり人と関わっていたい。」 これって,すごいことだ。 すごいことばだ。 恥ずかしながら私はこんなすごいことば,就職活動の頃に何の気なしに口先だけで吐いたことしかない。 閉じこもり気味の私はどちらかと言うと人間ぎらいの部類に入ると思うし。 好きな人や大切な人って勿論いるけど, それ以外の人に向けて幅広くアンテナを伸ばしてはいない。 好きな人や大切な人に向けても アンテナの感度をずるがしこく気まぐれに自分勝手にその都度調節しているような気さえする。 自分の嫌なところがたくさんあるように, 他人の嫌なところにも鼻が利きすぎてしまう。 なのにしいさんは言うんだ。 そして私はわかるんだ。 これは決して口先だけのことばじゃないって。 しいさん自身が言っていたように血のようなものってあるのかも知れない。 目に見えないけれど体もしくは心の奥深くにしっかり存在してる何か。 しいさんはこの道を進むことによって 自分の両親が進んで来たのとおんなじような道を歩むことになる。 まったくおんなじではないにしても根っこはおんなじだ。 それは人を育てるということ。 その昔,両親の仕事や共働きという状態に子供なりに思うことが山盛りあった自分の先にも そのような未来が広がっていくのが不思議だとも言っていた。 うちに関して言えば,姉である私は小学校卒業の時点からすでに おうちの道を大きくはずれて歩いていた。 これはもちろん親の方針でもあって,それに甘んじた私の現在はこんな状態だ。 これはこれで恵まれているし,今の自分を含めた自分まわりが結構好きだ。 それじゃあうちのおうちの道はと言うと・・・ 目下勉強中の4つ年下の弟がゆくゆくは継いでいく予定。 その話を聞いた時,私は正直驚いた。 4つ下の当時中学生か高校生の弟がそんな大それた「これから」を抱いているとは思わなかったし, 自分をもとに考えてみればみるほど,そんなことは信じられなかった。 親の無理強いなんじゃないかと疑ったこともあったぐらいだ。 なのに弟はしっかり地に足つけて歩いてる。 ふわふわした姉ちゃんとは大違いだ。 ちなみにしいさんとこは弟さんの方が遠く家を離れたところで のびのびと自分の好きな(趣味に通じた)仕事につき,暮らしているらしい。 私はしいさんの弟さんを知らないので, 彼が私とおんなじふわふわ人間だとは思いようがないのだけれど, うちとちょっと似てて,そして姉弟が反対なんだなぁなんてふっと思った。 わたしはところてんだったけれど, ところてんのように押し出されるか飛び出すかは選べるものかも知れないね。
|