カンラン
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2002年11月20日(水)





ともだちが沈んでしまってる。

一番しんどいところから何とか抜け出せたと思った矢先,

知り合いの人からがつんと意見されて再び深みにはまったのだそうだ。

相手の人も環境の変化だか何だかでいらいらしてたんだって。

つらい。

別に熱くなる必要もないのに,

たまたまどちらかの虫の居所が悪かったがためにぶつかっちゃうことってある。

妙に反抗心めらめらしちゃったり。

胸がかぁぁっとして収拾つかなくなるんだよね。

で,どうやら私の友達はその相手から,

「あなたは結局○○なのよ。」

ときっぱりと言われたんだそうな。

性格,生き方,もろもろのことについて,

「あんたはこんな人だ!」って。

たしかに自分のことって自分じゃわからないこともいっぱいあるけど,

簡単に決め付けて欲しくない気持ち,私も強い方。

だって自分は生きてるんだから。

生きてるってことは,日々変わっていってる,ってことだ。

いや,日々どころか一瞬一瞬かも知れない。

揺れてる,ってことだ。

良くも悪くも。

表面化しないささいなこころの変化だって,そのひとつ。

(そういうのを平穏,っていうのかも知れないなぁとも思う。)

だからその人をあらわすことばなんて,はっきり言って役立たずだ。

それはつまり,「それから」に対して目を瞑り,「過去」を語ったことばになるのだから。

教科書に載ってる偉い人のことをまとめたような文章だってそうさ。

あの世で本人が読んだら首をかしげてしまうだろうさ。

とは言うものの,仕方ないんだよね。

人間って,語りたい,伝えたい動物だから。

そうそう。

それにしても,人によって感じ方って違うんだなぁ・・・って今回のことで実感。

私のともだちが言われたこと。

私は彼女に対して一度もそんな印象を抱いたことないんだよねぇ。

人間の姿に通常,「うそ」も「ほんと」もないんだし,これは受け手の問題なわけで。

とにかくともだちはそうとうショックを受けてた。

何とか元気出してぇぇ。

飛んで行きたい気持ちはやまやまなんだけど・・・実際,遠い。

こういうとき近くにいたらよかったのになぁと思わずにはいられない。

彼女の最後のことばが目に焼き付いてる。

「人はほんとにさみしいとき,どんなことして過ごすんだろうか?」

私に対しての質問。

みんなに対しての質問。

そして彼女自身に対しての質問。

これは永遠のテーマだ。

私も沈んでいる状態で鼻水ずびずびしながら何度この質問を繰り返しただろう。

時には誰かに投げかけて,時にはこころの中で何度も何度も。

誰かに会いたくなる人もいるだろうし。

私みたいにとことん一人で落ちるとこまで落ちてみたい人だって少なくないだろう。

で,きっと彼女だってそうだ。

きっと次のメールにはそんなことが書いてあるだろう。

どういうのが理想的なのか。

どういうのが正しいのか。

どうあるべきなのか。

うそっぱちで幻に過ぎない一般的な枠に自分をはめてみようとしたってきりがないんだよ。

それならば

一回息を大きく吸って頭の先からずぶずぶと沈めるとこまで沈んでみればいい。

次はものすごい勢いで蹴上がってこれるはず。

途中に漂うものたちみんなびっくりするぐらい鮮やかに。

そしてそして

気泡越しに見上げる水面は以前見ていたものよりうんときれいに映るはず。








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