2012年01月15日(日) |
「深呼吸する惑星」ライブビューイング |
福岡千秋楽の中継を見てきました。 泣きました。 本当に最後だからなのか、疲れているからか(笑)、それとも、一人で行ったからかはわかりませんが、何の涙かもよくわからないけど溢れてくる。 そんな感じでした。 この作品はきっとDVD買うと思います。 この年になっても心がぐちゃぐちゃにされるような作品には、そう何度も会えるものではないから。
いろいろ考えたけど、結局ちゃんと言葉にできそうなのは二つくらいかな。 まずは、鴻上さんの戯曲は、役者あってのものなんだなあということ。 「誰がやっても同じ」にはならない。 もちろん、すべての舞台作品はそうなんですが、特に鴻上さんの場合、役者の私生活とかそういうものまで含めてキャラにしている部分がある気がします。 「天使は瞳を閉じて」なんかは、割合誰でもできるので高校演劇の定番になってますが、この「深呼吸する惑星」は別の人がやるならセリフとか変わってきそうです。 これは、長所でもあり欠点でもあると思います。 あと、これは初回にも思ったことなんですが、BLですよね(笑) いや、JUNEかな。 首相がギンガに告白するシーンが唐突で、なんでここでホモ?と思ったんですが、これは最後の伏線なのかなと思いました。 つまり、「ずっと好きな人がいるでしょう?」の答えが、タチバナだということ。 マキではないです。 だって、カンザキの幻覚に、マキは一度も出ていないからです。 そうでなければ、マキと再会した時にあの反応にはならない。 彼はずっと、タチバナの幻覚だけを見ていた。 彼の心の中にいるのは、タチバナだけなのです。 それは、恋愛ではないのかもしれないし、同性愛でもないのかもしれない。 けど、問いかけに対して彼は「6年間名前を忘れていました」とだけ言って、肯定している。 そして、幻覚のタチバナに許され抱きしめられて、前に進んでいったわけですから、ひどく独善的といえばそれまでではありますが、彼の愛した人はタチバナなわけです。 (ところで、あの交際申込みの場面で福岡会場では笑いが起きていたんですが、笑うシーンじゃないと思うんですが・・・) あ、一つだけ、物足りないと思ったことがあります。 アルティアと地球の関係は日米関係を模していると思われますが、とするならば、20代よりももっと下の若い層は、おそらくキリアスに賛同すると思います。 ただし、ネット上で。 そして、現実には、テレビ番組とか自分にとって不利益のない対象に対して文句を言うだけでしょう。 そういう「世代」の存在が、この作品にはない。 それだけが物足りなかったですが、ないものねだりですね。
失ってきた、生きてきてしまった。 そういう年代に突き刺さる作品です。 たぶん、10代の私が見ても泣きはしなかった。
遠くへ来た。
ただこういう作品に触れると、なかなか日常感覚に戻れなくて困ります。 今も若干足が地についてないのですが、仕事(の準備)をしなきゃなりません。 あと、久しぶりのじぇーすぎ原稿も。
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