第三舞台の解散公演に行ってきました。 そして、福岡大千秋楽のライブビューイングもチケット取りました。
私にとって思春期への影響がとても大きかった劇団・・・というより、鴻上さんが、でしょうか。 封印公演「ファントム・ペイン」からの10年は、私にとっては一番辛い時期でもありました。 それをなんとか乗り越えて、やっと、自分の思春期に別れを告げるときが来たんじゃないか、という気がします。 遅いんですけどね。
実に鴻上さんらしい、そして、第三舞台らしい作品でした。 大人になった今なら、DVDも戯曲も買えますが、あの頃は図書館や古本屋を中心に、鴻上さんの本を読み漁っていました。
最初に興味を持ったのは、ぴあの読者感想コーナーに「第三舞台の作品は難しい」と書かれていたからです。 その頃、小ざかしい優等生だった私は「難しい? そんな演劇あるの?」という、まああれですよ、思春期によくあるアレ、今なら中二病と呼ばれるアレですな、うん、てなわけで戯曲を手に取りました。
難しい、の意味が理解できました。
でも、面白かったんですよね。
「今の自分には理解できないもの」が「面白い」ものであるということ。
これを教えてくれたことは、大きかったと思います。
鴻上さんもパンフの中で言っていますが、「わかりやすいもの」がよいもので、「難解なもの」は悪いもの、とされる風潮がここ10年くらいでできてきた気がします。 それって「お客様マインド」だと思うのです。 でも、我々は「お客様」としてだけ生きているわけではない。 ときには、「わたし」を越える何かに出会って、「少し変わったわたし」になる。 それは、変わる前の「わたし」には予見などできるものではない。
人間の心は、毎日の、目の前の出来事だけではなくて、もっと遠い未来にまで想いを飛ばすことだってできる。 陳腐な言い方をすれば、「哲学」でしょうか。 「また、宇宙のどこかで会いましょう」 笑ってそういえるハートって、結構人間にとって大事なんじゃないかと思うのです。 「生存戦略」という言葉が去年はやりましたが。 即物的ですよね。 切実なのはわかる。わかるけれども。
その言葉は、心を空に飛ばしてはくれない。
それがいいか悪いかはわからないし、昭和生まれの悪い癖なのかもしれないけど、人間の可能性を信じることをやめたら、ヒトは何か別のものになってしまうんじゃないでしょうか。
たまには、こういう抽象的なことを考えるのもいい。 心の風通しがよくなります。 大人になればなるほど、今の自分の立場からしかものが見れなくなり、感じられなくなり、嫌なものが増えていきます。 残念ながら、日常の中ではそこから離れることは難しい。
ものすごく勤勉な人には頭が下がりますが、ふと、遠視気味に自分と世界を見つめる時間は大事なんじゃないかな、なんて思うわけです。
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