| 2006年08月29日(火) |
オーウェルのパシフィズム批判 |
パシフィズムちゅーのは「絶対平和主義」とでも訳せましょうか。なんだかリリーナ様のサンクキングダムを思い出しますが。 とある大学の学報に政治学の教授が、このテーマでエッセイを書かれていました。 ちなみにこのK教授は憲法9条改正論者です。 引用されているのはジョージ・オーウェルの
「平和主義者が暴力を『放棄』できるのは、誰か他の人が代りに暴力を行使してくれるからにすぎない。」
という文章。 教授は、こういう現実を認めたがらない戦後日本の平和主義者に不満を抱かれている、ということです。 それは、理解できます。 しかし、これは直接に9条改正を支持する根拠にはならない。何故なら、「汚れ仕事はやりたい奴がやればいい」という確信犯的に「卑劣」な「平和主義者」には痛くも痒くもないからです。 ただ、思考停止した平和主義(教授によれば「実りのない不誠実な態度」)は、こうした批判を受けて「平和主義を耕す」ことが必要なのかな、とは思います。 教授が引用する問いに、こういうのもあります。
「ヒトラー・ドイツと戦うな、というなら、(中略)ユダヤ人問題はどうするのか? 彼らが皆殺しにされるのを座視する覚悟なのか? もしそうでないなら、戦争に訴えることなしに、どうやって彼らを救うつもりなのか」
これはいわゆるヨーロッパの「パシフィズム」が、ナチスの侵攻に対して宥和政策を取った結果に対する批判、という背景があるのですが、私はこの質問の中にも疑問があるように思います。 まず、ドイツに宣戦した連合国は、別にユダヤ人を助けようとして戦ったわけではなく、ユダヤ人(ときには他の有色人種)に対する優生学的な差別、排除意識は当時の欧米の「常識」だったのではないかと思われること。 そして、ドイツでナチスが台頭し、侵略やユダヤ人抹殺を進めていったことの背景に、第1次世界大戦の多額の賠償金で国内経済がかなりダメージを受けたこと、それを他国は放置していたのではないか、ということ。 ヒトラーは確かにアレな人物ですが、何の脈絡もなく突然ユダヤ人を虐殺したり戦争を始めたりしたわけではないので、第1次大戦後の軍縮・平和主義の空気がヒトラー・ドイツの暴挙を生み出したというよりは、それが戦略的(ここでは比喩ですが)に展開されなかったことの方が問題なのではないでしょうか。 あまり詳しくないのでこれ以上に論を進めることができませんが、「遅れてきた帝国主義」日本が結局国際的に孤立する羽目になったことを考えると、「遅れてきた普通の国」日本というのもいかがなものか、と思うのですが・・・。
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