早瀬の呟き日記

2004年03月16日(火) 「イノセンス」考

「イノセンス」という映画は、あるサイトで評価されていたように「哲学的思考実験」に近く、それはつまりモノローグ的であるということだ。観客は命題を共有し論理展開のチェックをしなくてはならない。90分の映画でそれを要求するのは少々つらい。だからこそ「一度見ただけでわかられてたまるか(笑)」(舞台挨拶で言ったらしい)というコメントになるのだろうが、どうもこの映画には「もう一度見てみよう」という気が起きない。多分、映画本編以外のところで監督が語りすぎているせいだろう。
そんな訳で、監督の言葉を参照しながら、引き続きこの話題。
人間も動物もロボットも「生きとし生けるものは等価値」という「広い視野の倫理観」(パンフより)が必要だとする見解に異存はない。しかし、「生きている」とはどういうことか、「人形」を引き合いに出したせいでそれが曖昧になっていると思う。「ロボット」=「人形」という定義に飛躍がある。
私は昨日「他者を裏切るほど情報量が多ければ人間とみなしてよい」と書いた。この問題は「予想外の言動が意思によるものかどうか確かめようがない」点にある。例えば、平成15年10月、親善大使として小泉首相に随行したASIMOがチェコ首相に二度目の握手を求められた際無反応だったのは、「したくなかった」からではなく単に「二度握手をするプログラミングをしていなかった」からである。つまり「情報量が少ない」のだが、ロボット技術が発展途上だということが認識されていなければ、「拒否した」と解釈することもできる。要するに「ロボットに意思はあるか」問題である。
「アンドリュー」という映画がある。アシモフ原作のSFでロボットが人間になろうとする点においては古い物語なのだが、これが「だんだん人間になっていく」物語であることは特筆すべきである。子供だって、だんだん大人になるのであり、昆虫みたいに変態するのではない。「ロボットに意思はあるか」問題の問題(笑)は、それをたった一度のテストやたった一つの論理展開で決着させようとするところにある。恐らく正解は「そんなもん、時間かけて付き合わなきゃわからんわ。」であろう。
しかし、そんな悠長なことを言っていられない場合がある。
殺人罪の適用だ。
「イノセンス」の主題からすると、ここに焦点を合わせるべきだったのではないだろうか。そうでないために、バトーの少女に対する台詞が唐突で違和感を与えるのだと思う。


 < 過去  INDEX  未来 >


琳 [MAIL]