さて、前作映画も見ず(近所のレンタルビデオ店になかった/泣)、TV版も数話しか見ないで行きましたが(笑)割合面白かったです。と言っても普通の映画と同じ意味で面白いのではなくて、見ている間中頭を使わなければならないのが面白かったのです(笑) 睡眠不足だったんで、予告では少々眠くて、寝ちゃったらどうしようと思っていたんですが、頭使わないといけないので寝なくて済みました。 事前情報で「ノベライズ(山田正紀/徳間書店)を読んでいないと台詞の6割が理解できない」と聞いていたので、ノベライズを買って、8割くらい読んで行ったのが幸いでした。確かに、「攻殻機動隊」の世界に関する予備知識がないと、画面に映っているものの意味がわかりません。台詞自体は、コンピュータのことがある程度わかってればいいんじゃないかな。ハッキングとかセキュリティとか。あと、森博嗣を読んだことがあればわかる(笑) 絵は確かに綺麗ですが、綺麗すぎて逆に見づらい、と私は思いました。焦点が合わないというか、どこに注意を向けたらいいのかわからない。疲れるのです。 ストーリーについては、人形と人間に関する薀蓄が多いのは構いませんが、肝心の事件の真相が説明不足で強引なので、「意外に事件ショボかったな・・・」という印象です。 まあでもそれはともかく、ガブが可愛いです!!(力説) 私はシベハス以外の犬には興味ないんですが、あのぶっさいくなガブがぱたぱた走り寄ってきてがつがつ食ってばふばふ寝ているところはもう、可愛い〜!とニヤけました。ぶっさいくなのに可愛い(笑) バトーがむにゅーってするところ(見た人にしかわかんない表現)は名場面ですなあ。
以下、ネタバレにつき反転。
義体サイボーグは人形ではない。そして、純粋存在とも言うべき草薙素子も人形ではない。 何故か。 彼らは、他者に異議を申し立てることができる。「ドライタイプにしろ」という同僚のアドヴァイスをはねつけることができるし、他者を騙したり裏切ったりすることができる。機械であるとか身体がないとか、そんなことは大した問題ではない。自己情報の複雑さとある程度の統合性が重要なのであり、不快だとか納得いかないとか、他者にそのようにプロテストできない(しない)存在を人形と言う。 無論、それは程度問題でもある。「より人間に近いもの」と「より人形に近いもの」の差でしかない、と言うことも可能だろう。しかし、直接的に誰かにコントロールされることなしに他者に異議を唱え、こちらの予測を裏切る自己情報を持ち合わせているのであれば、それを人間と扱って構わないだろう。(ガブに表象されている「動物」については、知識が極端に少ないため判断を保留する) ゴーストの定義を「その時点での科学技術では電脳化しきれない人格情報」とするなら、今回の事件で暴走した(バトーによれば「犠牲になった」)人形達は、あの少女の「意思」によってそうしていたのだから、「器」に過ぎない。「人形になりたくなかった」という少女の叫びを否定的に描く必要を私は感じなかった。純粋存在である素子も人間だし、バトーも人間だし、あの少女も人間である。何かを求め、何かに抗う。イノセンスな人形は、「器」であることもまた受容する。同情して欲しいなんて、露ほども思わないだろう。 「イノセンス、それはいのち」ではない。「イノセンス、それは死」である。 赤ん坊でさえ、快不快を表現しようとする。人間として生きることは汚い。何かを裏切って、抵抗して時間を過ごしていくことだ。生きている限り、イノセンスになんかなれる筈がない。もし人間がイノセンスでありたいのなら、自分の「こうしたい」という欲望、「生きたい」という欲望さえも放棄する必要がある。それが可能になるのは、「人間という形」がなくなるほど電脳社会が進んだ場合だろうと思う。
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