早瀬の呟き日記

2002年09月25日(水) 文学の話題

「石に泳ぐ魚」(柳美里)の出版差し止めが最高裁で言い渡されたようですね。
クールに考えると、何が「プライヴァシー」なのか、という点が少し気になります。容貌はプライヴァシーなのか。だとすると、障害のない容貌も事前の相談なく描写したらプライヴァシーの侵害になるのか。この辺を曖昧にされると、やはり「表現」が窮屈になる可能性があります。
ただ、本件は当のご本人が「苦痛を受けた」と訴えている訳だから、仕方ないかな、という気もします。
司法的なこととは関係なく考えると、「『外見の障害を持った人』と『心の障害を持った人』(作者がモデル)との心の交流を描いた小説」(朝日新聞より)であるにもかかわらず、当のモデルとなった人から「友人だと思ってたのにこんなことするなんて」と訴えられているあたり、どの程度の「心の交流」だったんだかな、と思わなくもないですけど(笑)
朝日新聞では、三島由紀夫の「宴のあと」のときは文壇は全員三島側だった、と天声人語で書いてました。今や、「文学の特権性」はなくなったと。
それは「文学の特権性」ではなく、「文学者の特権性」でしょう。三島由紀夫は東大出の元大蔵官僚ですし(笑) 私は大塚英志氏の「もはや文学は不良債権」という意見は一面そのとおりだと思いますけれど、「誰も読まない(売れない)小説に意味があるの?」的な部分には賛成しかねます。たとえ「純文学」を読む人が極端に少なくなっても、作家が印税で生活できなくなって専業作家がいなくなったとしても、「いい小説」が残ればそれでいいんじゃないですかね。あるいは、文学が商業的弱者として、何らかの福祉的措置を与えられるようになっても別にいいのでは(笑)
ある若い作家が滑稽に映るのは、若いくせに「文学の特権性」を信じているらしい様子があるからです。同時に「文学者の特権性」をも。まあ、実際彼は有名国立大法学部ですけど(笑) 作家の中にも「大の小説好き」とそうでもない人とがいて、まあ好きなら上手いかってもんでもないんですけど、「小説そのもの」が好きという訳ではなさそうなのに「小説にまつわるもの」としての「文学の特権性」なんかに執着してるところを見せられると、なんか嫌になりますね。
そういえば大江健三郎氏の新刊「憂い顔の童子」は面白そうですね。装丁もなかなかいいですし。図書館で借りるか文庫化を待つか(笑)だって\2000は高いんだもん。てか「憂い顔の童子」ってもしかして花岡山の祇園童子のことか?せ、瀬戸口(cf:「ガンパレード・マーチ」)か?(汗)と相変わらず連想がマニアックですいません。
(ここから、わかる人限定の呟き)
オフィシャル連載中の「Return to Gunparade」で、壬生屋への瀬戸口の態度に涙出そうになったのは早瀬だけでしょうか。イヤ、わかるよ、瀬戸口がね、ああいうタイプ嫌いなのはね。でもねえ・・・なんでそこまで冷酷かなあ・・・。やっぱり思い出を美化しすぎて、無意識に反発を感じてるのかなあ。確かにちょっと嫌な女にも見えるけど、旧家のお嬢さんなんだから仕方ないんじゃないかと思うんだけどなー。ののちゃんを基準にしない方がいいだろうよ(笑) CDドラマでは先代のシオネ・アラダと未央ちゃんの本質は同じとして描かれていたけど、オフィシャルの方では単に記憶継承してるだけの別人なんだろうか? だとしたらちょっと悲しすぎる(泣) 「気持ちだけ」だったら憶えていない方がマシなんじゃないだろうか。・・・切ない・・・(泣) ノーマルカップリングでも結局「痛い」組み合わせが好きなんですね(笑)
(呟き終わり)
まあそれはともかくとしても、ノーベル文学賞取って自殺しちゃった川端康成と比べると、大江氏は人の好い顔してるくせに、かなりしたたかな書き手なんじゃないかと思ったりもします。あの穏やかな、善良な笑顔の下に、なんか得体の知れないものを飼ってそうな(笑)そんな雰囲気がありますね。
勿論、そういう人は嫌いではありません。

さて、「TWICE」の下書きが全て終わりました。打ち込みに入ります。


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琳 [MAIL]