また帰って来たロンドン日記
(めいぐわんしー台湾日記)

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2005年01月06日(木) 時間の連続性

いつごろから記憶の中で時のつながりがはっきりしなくなってきたのだろうか。
小学生のころは、昭和何年に自分が何年生で、その年には何があったという風に
細かく配列を覚えるように記憶がはっきりとしていた。
それを聞いて大人たちが「よくそんなにはっきりと覚えてるねぇ」と言った。

当たり前のことに大人たちがなぜ必要以上に大げさに驚いて見せたのか、
今となっては、大人たちにとってはそれが当たり前のことではなかったのだろうと
納得するほかない。

時が連続していると感じるために必要なものはなんだろう。
地理的な連続性だろうか? 継続する確固たる信念だろうか。
はたまた生活を共にする人々、家族だろうか。

時間が一つのつながりとして連続して継続することを、
もはや当たり前に感じることが出来ないということを知った。
そして、もしつなげて感じたいのなら
おれはそれを自分でつなげていかなくてはいけないということを
今日あらためて知ったのだ。

自分が何のために生きているのか、、、なんていうことを考えてしまう時
そんな時は失われた時間をつなげる時なのかも知れない。


倉田三平 |MAILHomePage

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