また帰って来たロンドン日記
(めいぐわんしー台湾日記)

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2004年11月19日(金) 尊厳と柔軟性

ありのままの自分であろうとして、人と衝突してしまうことがある。
これをどう処理するかは、俺が子供の時からの課題だった。
「ありのままいるとはどういうことかも含めて」。

今日は久しぶりに、そういうことがあった。
イギリス人二人、中国系オーストリア人、イタリア人と俺で
パブで話をしていたのだが、おれとマイケル(中華系オーストリア人)が
時々中国語で話をしているのが、イタリア人の彼は気に入らなかったらしい。

簡単にいってしまうと、彼の言い分は、
自分たちはイギリスにいるのだから英語で話をするのが当然で、
自分がわからないことばで話をされるのは礼儀がないということらしい。
「彼は話から除外されている」というのだ。

「俺」は多分、多言語環境になれているし、
外国語で行われるほとんどの会話は、その人数が三人を超えた場合、
そのうちの一人が特別俺に気を使うか、
おおむね共有されるトピックを話していない限り、
話から「除外されている」と感じることは多いし、それに慣れもした。

個人的にそのイタリア人に対して、
そう感じさせたことを残念に思うことはあっても、
そこでイタリア人に「彼が客観的に除外されており」
だから「英語で話すべきだ」と言われる筋合いはない、
と言うのが俺の言い分だ。


こんなことは、放っておけばいいのだが、
どうしてか、こういうことがずっと気になる。


特に、それが「客観的な事実」であるようにいわれた時に
それは、多分俺の何かと反発する。


そういうことを解決するためにも、
俺はNLP(神経言語プログラミング)を学んできたし、
また学び続けてもいる。

NLP的に言えば、それが客観的事実として表現されていようが、
俺のように「主観的」なものであるというふうに思おうが、
その人の「信念・価値観」が表現されているという点において、
その話が正当かどうかという次元の話ではなくなる。

ただ、どうして引っ掛かるのかというと、
そこで自分の「尊厳」が脅かされていると感じる自分がおり、
相手と「ラポール」(信頼関係)をつくる以前に、相手の言動に対し
いやおうなく「反応」してしまう自分がいるということだ。


こういう時に、「いや俺が悪かった」と謝ってしまうのは
非常に後味が悪いものだということを俺は身をもって知っている。
それは結果として自分を卑下してしまったと感じることになるからだ。
かといって、以前の俺のように、「非生産的な議論」(笑)を展開するのも
すっきりとした関係や気分を得るには、
ほとんど意味がないということもよくわかっている。
それは自分が傲慢で尊大だと感じることになり、
同時に自己評価が下がってしまうことにもなるからだ。


少し話は飛ぶ。直接今回のことには関係がないが、
想い出したので、ここに書いておくことにしよう。
先日クラスメイト(こいつはヨーロッパ人だが)が
道路を横断する際に、自転車に乗っていた人に
手で突き倒されて鉄柱にぶつかりけがをした。
さらに不幸なことに、こいつは転倒した際に自転車の人につばを吐きかけられた。
大学の近くだったので、彼から電話を受けた俺は、
動けないでうずくまっている彼を病院まで運んだ。

彼は一時通りすぎたが、引き返してきた自転車の男に、
不注意だった自分も悪いが、突き倒してつばを吐く必要があるのかと問い、
彼の自転車を蹴ってしまったという。
彼は怒りのあまりに自分が自転車を蹴ってしまったことを
非常に情けなく思っていると言った。

俺は
「やっぱり、こんなに道徳の低い国には永くは住みたくない」
と思った。

こういう風に嫌なことを感じるのは、
これがイギリスだから起こりうることなのだろうか?
それは一つの原因ではある。
こういうことは、うちのクラスメートが言うように
「どこでも起こりうる」ことではあるが、
礼儀など人間関係を最低限円滑にすることに関して
文化的に非常に高い日本で育ち、それに重きを置いている人間にとっては、
日常的に不愉快なことが起こる確率は、やはり日本よりは確実に高い。
自分の道徳観や価値観からすると、ロンドンに住む人々の言動は往々にして
俺に「堪え難い」と感じさせるに十分ではある。

ただ、今回のイタリア人の発言のようなことで、
自分が、自分の尊厳を守るためとはいえ
「望まない反応」をしてしまうようなことは、日本でも起こりうる。
そして、それは自分自身の心の余裕や、
日常生活でどれだけ自分が自分を大事にできているのかということと
大きく関わると俺は思う。


ここにおもしろい記述を発見した。
「中国二つの悲劇-アヘン戦争と太平天国」と言う本の中にある記述で、
おおまかに言えば、中国が列強に開国を迫られ、
アヘン戦争を経ていかに変化していったかを述べている。
ちょっと長いが、抜粋してみる。

「戦争に敗れ賠償金を支払う。その負担が重税となって下層に転嫁される。
戦争に敗れ輸入品が増加する。自分の作るものが売れなくなって他人の品を買わされる。
なるほどこれが事実ならば、外圧である。しかし負担に堪えられるならば、
購買力を十分持つならば、これは圧力にならない。
圧力が圧力として受け取られるには心理的にも外国勢力と国内勢力との因果関係に納得されるような事情が必要である。
しかもそれは二重の作業を経て歴史となってくる。
すなわちアヘン戦争後の中国人が、国内の諸困難を先ず、外国の打撃のゆえに
帰する被害心理が一つと、さらに今日からもその因果が妥当だとする
観察心理が一つである。いずれも事実の取り上げ方と解釈の仕方に違いはないが、
重点の置き所によって、その問題の展開に相違を生じるようである。
果たして外圧は内部矛盾を激化して内圧をもたらした
もっとも大きな条件と考えてよいであろうか」

そのあと中略して、中国の手工業がイギリスの機械製品にいつまでも
頑強に抵抗した事実をもって、外圧の打撃が当時の人士や後世の歴史家にとっても、
極めて心理的な作用をもったに過ぎなかったということになるだろう、と。


外圧や被害心理、頑強な抵抗ということば。
負担に堪えられるなら、購買力を十分に持つならという表現を
ちょっと違うことばに置き換えてみると、
自分と外部、自分とほかの日本人、自分と西洋人、自分と中国人
そして、日本と外国、日本と西洋、日本と中国と各層のレベルが
自分の中で大きなつながりを持ってることに改めて気づかされ、
非常に示唆に富んだ内容だなと思った。


倉田三平 |MAILHomePage

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