Dance日記帳
モクジキノウヨクジツ


2007年02月27日(火) 手練手管続編

昨日に引き続いて。

「さくらん」の楽曲は全て私が崇拝する椎名林檎さんが担当したのはご存知の方も多いことと思う。
あちこちのメディアなどで取り上げられているので、目にも耳にもする機会があると思う。

この映画、「プチ・ミュージカル」というような要素も持っている。
単に「サウンドトラック」という形で音楽を監督したわけではないところが椎名林檎的とでも謂うべきだろうか。

既に先日ブログにて新作のCDについては紹介申し上げている訳なので、少々しつこい内容ではあるが、暫くおつきあいください。
コアなファンではなければ、洞察できない部分を少々語りたいのです。

過去、椎名林檎さんは和楽器などを使い「加爾基 精液 栗ノ花」というアルバムを出し、その当時にショートフィルム「百色眼鏡」をリリースしている。
このショートフィルムをご覧になった方は少ないことと思うが、是非この機会にTSUTAYAなどでレンタルなどして「さくらん」をご覧になる前後にでも鑑賞していただきたい。

楽曲をもとに、この二つの映像が巧くリンクしているのを感じられる。
編曲されセルフカバーという形で今回「さくらん」に使われる「意識」「迷彩」「茎」は、同様に「百色眼鏡」でも使われている。

さて、此処で思ったことは、「さくらん」で表される「フィクション」な世界。ヴィヴィットでアンチリアリズムの世界。
対比するかのような「百色眼鏡」で表される「ノンフィクション」な世界。伊万里の和食器や、和の設え、いつか其処に在ったと容易に想像できるほどのリアリズム。
そして、脚本の対比。
花魁と廓の生々しいようなストーリーがある「さくらん」に比べ、何を語りたいのだろうかとオーディエンスが悩むようなニュアンスが主体である「百色眼鏡」。

椎名林檎という音楽監督のブリッジのもと、この二つの作品は互いに対岸に在りながら、不思議と調和し、互いの作品をもり立てているかのようにも思えるのだ。

こうなると聞かれるのは「どちらが好きですか?」という愚問。
答えるに値しない。
「とうさんとかあさんとどっちが好き?」と謂われるのと同じ。
「すしとすきやきどっちが好き?」と聞かれるのと同じだ。
双方の良さがわかってこそ、今回の作品の楽しさを実感できるのだ。

本日は大変「林檎ヲタク」な内容で失敬。
同調して頂ける仲間がいれば、なお幸い。


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