Dance日記帳
モクジ|キノウ|ヨクジツ
『踊堂結社』の始動記念。
敏腕制作カナコと企画会議。 事前よりラブコールをしていたのだが、ようやく色好い返事を貰うことができた。此の難関さえ突破すれば、舞台の実現は決定したも同然だ。 私の中では、振りを作ったり、演出を考えたりするよりも、一番困難なダンジョン。
彼女との企画も、回数が重なり、企画会議と言っても然程の事ではなく、 「じゃ、私、今から何やればいいんだっけ?」 「創作しといてください」 というサラッとした流れだ。表面上。 勿論、その裏側、否、内側では「遂に始動だ。身体も心も準備オッケーにしなきゃ!」と目一杯互いに気合いを入れている。
次に出演を依頼するメンバーに連絡を入れる。 本当に半年ぶり、一年ぶり、というメンバーにも連絡をとる。 即座に戻ってくるメール。 長いこと、随分音沙汰なくしていたとしても「舞台」という免罪符が此処で役立つのだ。
まずは、例年、恒例となってきているけれども、心より信頼できる人に制作を頼むことができたこと、そして、其れを快く受け入れてくれたこと、それが嬉しい。
つぎに、長く連絡を取らなくても、「一緒に踊らない?」という私の声に反応してくれる仲間が存在してくれていることに感謝する。
踊る仲間というものは、言葉を重ねることがなくても、音が流れ、其れにのって一緒に動くだけで、不思議なシンパシーを得られるものだ。 重ねてきた「踊り」が、何よりも強い絆である。
「舞台」は何れ程望んだとしても、ひとりで作ることはできない。 世の中には独りで創る賢者も存在するのだろうが、私にはできない。 一緒に互いを高め合う、そういう仲間たちに支えられて、初めて「舞台」を創ることができるようになる。 自分一人の力では出来ないことだからこそ、貴いのだ。
自宅に戻り、メールをチェックすると、NYの親友からのメールが届いていた。(3年に1度、あるかどうかの貴重なメールだ!)
私はひとりじゃない。 その事実が私を温めてくれる。 昨日、電灯にとまったてんとう虫が運んで来てくれた仕合わせは此れだったのだろう。
これから当分、登り坂を只管に先頭きって歩んでいかないとならない。 それは時として厳しく辛いだろうが、天辺に到着した時の眺めを想像すると、険しいほどに期待が高まるというものだ。 身体と心のコンディションを整える作業は、既にスターとしている。 怪我と病気だけには気をつけてゆこうと思う。平凡な事柄っぽいが、此れが何より大変なことであるのだから。
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