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2002年06月26日(水)

歯磨きゴシゴシ。

新しい歯ブラシをおろした。新品はいいね。

ワタシが使っている歯ブラシは、普通のものとちょっと違う。
「歯茎の弱い方に〜ソフト毛」。しかも超極細毛だ。
普通の歯ブラシだと、おろしたての時は、かなり痛かったりする。それまで使っていたのと同じ銘柄でも、「あれ、こんなに硬かったっけ?」と、ついついパッケージに書いてある毛の硬さを確認してしまったりする。
下手すると歯茎から血が…、なんてこともある。
ところがどっこい、ワタシの歯ブラシは、おろしたてからフニャフニャなのだ。
なんだか、手応えが感じられない。
磨いてるぞ。
きれいになってるぞ。
そういう感触がない。
しかし、そのような実感がないがゆえに、これはワタシの歯ブラシに抜擢されているのである。

歯列矯正のために、中学生のころ、2年くらい、ずっと歯医者に通っていた。当時は「歯列矯正」はあまりポピュラーではなく、ワタシは「ワイヤー女」などと、同級生男子にからかわれたりした。
こう書くとトラウマになっていそうなものだが、うるさい男子は腕力でねじ伏せていたので、心のいたではない。逆に歯医者がまったく苦にならないという、神様からのプレゼントをいただいた。

そのまま月日は流れ、ワタシは今でも歯医者くらいではビビらない。ビビらないどころか、「変かしら」と思ったらすぐに歯医者に行く。一度は楊枝の先すら入らないくらい極小の虫歯を見付け、嬉々として出掛けた。それを見た歯医者さんは「よく気付いたねえ」と感心することしきりだった。お蔭様で歯は健康。虫歯らしい虫歯とは縁がない。
でもちょっと、別の問題が。
ある日、歯が痛い。悦び勇んで病院を訪れたら、虫歯ではなく「知覚過敏」だった。また「痛い」。また歯医者に行ったら、また「知覚過敏」。
その都度言われることは、「磨きすぎ」だった。
削れてしまった歯の根っこを埋めた後には、必ず若いお姉さんが登場する。手には大きな歯ブラシと歯の模型。
「いいですか。歯ブラシはえんぴつを持つような感じで、こんな風に軽く…」
お姉さんの手が、歯列をすべるように、シュッ、シュッと動く。
力まかせでなく、細かく、丁寧に、時間をかけて。
言われることはいつも同じだった。

歯医者から戻ると、だいたい二、三日は、シュッ、シュッとやる。
しかし、気が付くと力任せにゴシゴシ磨いているのだ。
なんてったって、これじゃないと磨いた気がしない。
ゴシゴシやってはじめて、歯は爽快、満足する。

そんなワタシを見かねた母が買って来たのが、例の歯ブラシだった。フニャフニャのヤツだ。
どうやっても、ゴシゴシにはならない。どんなに力を入れても、手応えのないまま、歯ブラシだけがどんどんダメになっていく。
知覚過敏にはならなくなった。母の作戦が功を奏したということだが。

歯って、ゴシゴシ磨くものだろ。長年の習慣は、そう簡単には変えられない。
柔らかいブラシの感触に、不満は募るばかりだ。物足りない。物足りない…。


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