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■ 親愛なる友へ(2)第3稿
微妙に書き直し中の第2稿。 兄様ズの出番をいかに抑えるかがキモのような気がしてきた(笑)
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心ゆくまで――といっても、弟妹たちを気遣って年長の二人はかなり馬足を抑えていたようだったが――原を駆け回ったあと、喉の渇きと軽い空腹を覚えた四人は休憩をとることにした。このあたりは庭も同然のヴィクターが迷いなく皆を導いた場所は、馬をつなぐのにちょうど良いささやかな木立と、腰を下ろしてひとやすみするのに適した草地、そして近くにはせせらぎも備えていた。 馬と自分たちの喉をうるおしてから、一行はスタイン家から持参した軽食をひろげた。公爵家お抱えの料理長は、年少の二人には甘い焼き菓子を、年長の少年たちのためには鶏のあぶり焼きとピクルスをはさんだ薄いパンを用意してくれており、それらは瞬く間に四人の腹の中におさまった。 「ピート」 「うん?」 「腹ごなしといかないか」 手早くまとめた荷物を元のように馬の鞍にくくりつけたヴィクターが、代わりに別のものをはずして振り返りざま、ピーターのほうに放ってくる。ピーターは慣れたしぐさで片手を差し出すと、宙を飛んできたフルーレ《練習剣》をぱしりと音を立てて掴んだ。 「危ないなあ。受け止め損ねたら大変だよ」 「おまえが落とすわけないだろう。さて、ひと勝負どうだ?」 自分用のフルーレを掲げて、ヴィクターはにやりと笑う。 (やった!) エドマンドは内心で快哉を叫んでいた。スタイン公爵家の長男ヴィクターといえば、十四歳とは思えぬ剣術の名手として知られている。そして、その彼と並び称されるのが、エドマンドの実兄であるピーター=フランシス=カートネルだ。憧れの兄とその親友との勝負は、エドマンドが1年前に正式に剣を習い始めてから、いつか観たいとずっと願っていたものだった。 ――けれどもエドマンドの希望とは裏腹に、ピーターは気の進まない顔だった。 「別の日なら、望むところ、と言ってるけどね。おちびさんたちがいるだろ。怖がらないかい」 「そ――」 そんなことはない、と言い募ろうとして、エドマンドは兄の気遣わしげな視線の方向に気づいて口をつぐんだ。クリスタルがちんまりと行儀良く草原に座って、兄たちのやりとりをきょとんとした顔で見上げている。 考えてみればあたりまえだ。クリスタルはエドマンドより年下で、しかも女の子だ。剣術になど興味はないだろうし、もしかしたら怖がってしまうかもしれない。 残念だけど今日はしかたない、とエドマンドが自分を納得させようとしたときだった。 「エドマンド、レイピア嫌いなの?」 当のクリスが、不思議そうに首をかしげて問いかけてきた。その瞳には、隠しきれない不満の色がある。 「え?」 「ヴィクター兄上とピーターどのの勝負なんて、めったに見られないのに……」 いかにも残念そうに唇を尖らせて言い募るそれは、ついさっきエドマンドが思ったこととまるで同じだ。 (え、ええっと……?) 「好き、だよ」 とりあえず口から出たのは先ほどの質問の答えだった。疑問符がぐるぐる頭の中を回っている。 「よかった!」 クリスタルはぱあっと顔を輝かせ、期待に満ちた顔で兄を振り返った。ヴィクターはにやりと笑って、友人にあごをしゃくって見せる。 「と、いうわけだが、ピート」 「……了解」 呆れたように肩をすくめ、ピーターは手の中のレイピアをくるりと一回転させると、自分の手の中におさめた。
呼吸を読みあうような一瞬の静寂のあと、ヴィクターが先に仕掛ける。いくつかのフェイントを織り交ぜた突きをピーターのフルーレが跳ね上げ、たちまち激しい打ち合いが始まった。 それぞれが卓越した技量の持ち主である上に、実力の伯仲した二人である。目まぐるしく攻防を入れ替え、なかなか決着がつかない。 エドマンドは両手を握りしめ、瞬きをすることも忘れて目の前で繰り広げられる熱戦に見入っていた。 (すごい、すごい……!) 心が躍る。 レイピア剣術で頂点に立つことは、フェデリア貴族の少年なら誰もが憧れる夢だ。 今の自分にはとても届かないけれど、いつかは――
「あんなふうに、なりたいな」
そう。そうだ、あんなふうに。 (――え?) ぱちくりとエドマンドは瞬きをする。 その呟きは自分ではなく、隣に座った少女の唇から漏れたものだった。 「どうして、クリスはレイピアを習っちゃだめなのかなあ……兄さまみたいに、強くなりたいのに」 憧れを瞳に宿して、ため息のようにクリスタルが独りごちる。 その台詞の意味を、エドマンドはすぐには理解できなかった。 頭の中で少女の口にした言葉をなぞってみる。 (兄さまみたいに) (――強くなりたい?) ……それはつまり。 クリスタル本人が剣を取る、ということだ。 エドマンドの奇妙な表情に気づいたのか、クリスタルが兄たちから視線をはずして、怪訝そうに覗き込んでくる。 「なあに? エディ、変な顔になってる」 「変なの、クリスだよ」 反射的にそう答えていた。 「だって、クリスは女の子じゃないか。女の子がレイピア習いたいなんておかしいよ」 ……そのときのクリスタルの表情を、エドマンドは決して忘れないだろう。 大きな瞳を更に大きくしてエドマンドを見つめ 「どうして!」 エドマンドが最後まで言い終えないうちに、噛み付くような勢いでクリスが叫んだ。 「どうして、クリスがレイピアを習いたいって言うのはおかしいの」 「だって。女の子は剣術なんてできないよ」 「そんなの、だれが決めたの?」 「だれがって……」 淡々と問い詰める口調に気圧されて、エドマンドは口ごもった。 クリスタルがなぜ突然様子を変えたのか、なぜこうも執拗に詰め寄られなければならないのか、エドマンドにはまったく理解できなかった。女が剣術をやらないことは、男がスカートをはかないことと同じくらいにエドマンドにとっては常識で、それを疑ってみたことなどただの一度もなかったのだ。 混乱しながら、ひとつ年下の少女を見つめ返す。 少女の変貌の理由はわからない。けれどわかることもあった。クリスタルが、とても真剣だということだ。 ――目を逸らしたのは、クリスタルのほうだった。 「エドマンドも、やっぱり、おんなじだね」 エディという愛称ではなく本名を呼んで、小さな唇には不似合いな、ひどく大人びたため息を漏らす。肩から力を抜いて、先刻までの張り詰めた無表情とも、それより前の生気に溢れた笑顔とも違う、ぎこちない笑みを浮かべた。 「わかった。……ごめんね、困らせて」 ずきりと胸が痛んだ。 少女だと知って、それでも話しかけたことを嬉しいと、ありがとうと言ってクリスタルが笑ったのは、ほんの数時間前のことだ。 (ともだちに……なりたいって。僕が、言ったのに) エドマンドは必死に考えていた。これほど真剣に考えたのは生まれて初めてかもしれなかった。 自分がこれまで信じてきた常識に照らしてみれば、クリスタルの望みは明らかに異端だ。貴族の娘としては異常と言っていい。 でもその望みは、たった9歳の少女に、こんな表情をさせなければいけないほど間違ったことなのだろうか。 兄さんみたいに強くなるんだと、剣を習い始めたころの自分が言ったときには、周囲は笑い返すばかりだったのに。 (僕は強くなりたくて) (クリスも、強くなりたいって) (でも、クリスは女の子で――)
「どうした?」 思考に没頭していたところに、ふいに背後から声をかけられて、エドマンドは飛び上がった。いつの間にか剣戟は終わっていたらしい。フルーレを鞘におさめたヴィクターが、頭上にかがみこむようにして見下ろしていた。 「静かだと思ったら、えらく暗い顔してるじゃないか、クリス? いつも騒ぎながら見てるくせに」 「兄さま。……ううん、なんでもない」 「なんでもないって顔か?」 「エディも変な顔してるけど。喧嘩でもした? ――弟が、なにか失礼なことでも言ったかな?」 ピーターも心配そうに顔を曇らせ、友人の妹と自分の末弟をかわるがわる見ながら尋ねてくる。口ぶりこそ物柔らかだがその視線にひやりとしたものを感じ取って、エドマンドは身をすくませた。ピーターは決して暴君ではないし、頭ごなしに叱り付けることもないが、外見の与える印象ほど甘い兄でもない。そのピーターが、なによりも嫌うのが言い訳だった。そして、クリスタルにいまの表情をさせているのが、自分であることだけは紛れもない事実だ。 「うん、あの、僕が――」 「エドマンドはわるくないよ」 きっぱりとした少女の声が、エドマンドの台詞を遮った。
2005年10月25日(火)
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