親鸞聖人、お教えください。 「浄土がある、とどうして言い切れるのですか?」という立場は、自力善の立場にすぎないのでしょうか。 このように疑いを持つこと、自力善で疑いを持つこと、そのことを捨てることが仰られていることなのでしょうか。 自力善で疑いを持つこと、親鸞聖人の他力のお立場、二つを同時に観ると、出口のない隘路(あいろ)を感じます。 論理上突破できない閉鎖路であり、心理上の閉塞感を感じるのです。 もう一度、親鸞聖人のお声を聴きたく思います。 どうか、親鸞聖人、お教えください。