幼年より、人を蔑(さげす)む気持ちが強かったようである。
貧困に生まれ、病弱で、犯罪者の家に育ったからであろう。
青年期に入って抑鬱になるのも当然で、優れた他者を蔑もうとしても、己の小ささが浮かび上がってくる。
であるのに、努力もせず、才能もなく、社会背景が優れている訳でもない。
抑鬱になるのは当然であった。
貧困、病弱、犯罪者を内在化しつつ、客体視によって人を蔑まないことを自ら学習していく、青年後期。
どこにでもいる私、それが当たり前、それが社会の視線。
やっと、どこにでもいる私のうちの一人が私である、と体感していく。
小説を書きながら、詩をさえずりながら、その中に活きる私を客体化する視座になれていく。
私にとって小説や詩は、内在化の旅路であり、社会の考えを理解していく手段であった。
それらから、代替可能性を持つ行為というものが立ち現れてきたのである。