初春は、感覚の先鋭化ゆえの感情の噴飯が、貴いと想っていた
晩春には、狂気の沙汰に失笑が加わり、情念と合理の二面が、誇るべきと思っていた
荒れ狂う猛暑を抜けて中秋に入ると、
実りをもたらす忍耐と中庸が、感情の昇華であり、道徳と論理の相反を修めたく思ってきた
歎異抄の唯円は、猛暑を抜けた名月の心境に達したであろうか
嘆くは口先だけの方便にて、晩春の誇るべき心情ではなかったであろうか
初春の私には観えなかった唯円への解釈
解釈が増えたことが、実りと言ってよいのだろうか それとも惰弱と言うべきであろうか
歎異抄の最後に附記された親鸞流罪の記録は、唯円の誇るべき心情の表れのように感じられてならない
唯円は流罪に至るとも、その中秋の脆弱を叱るために流罪の記録をつけたのではなかろうか
世俗の権力におもねるからこそ、異端がはびこるのであると、それをもろともしなかった親鸞を見習うべきなりと。
これは中年への叱咤であろう