ものかき部

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「 黄身を分離したバター 」(2)
2003年06月18日(水)


 菜緒子は皆に可愛がられるキャラだった。胸も大きいし、それを知っていてピッタリした蛍光ピンクのハイネックを着たり、言葉遣いも今時を行っていた。
 ブランド物のバックにストールを合わせたりする人種、そしてそれの似合う顔立ち。
なんでこんな所にいるのか本当に不思議だった。なんか安藤は「クラブの格があがる」といってニコニコしていたし、実際、彼女目的で入部してきて散っていった男が何人いただろう。クラブの連帯感は半年で完成して、「また、菜緒子目的だよーー、今度は何ヶ月かな?」と皆で話し合っていた。菜緒子もそれに加わって「どれくらいか賭けない??」などと飲み会で笑いをとっていた。「賭けにならないじゃーん」という突っ込み役も決まっているほどの連帯感であった。

『シニカル』
その言葉を知ったのは大学に入って友人のHOTDOGを読んだときだ。言葉の響きが格好良かったので人に意味を聞いて「寂しい奴のことか」と思い直した。まさに俺に掛かっていた言葉だろう。頭がいいと思って、内心ビクビクして、でもいつでも冷静のように思って、自分が嫌いな人間のこと。
 もてないから自分が嫌い。そういう状態で服とか髪の毛とか、お洒落に必死だった大学1年生の時に知った言葉。
入部3ヶ月で副部長だった何某が安藤と喧嘩して辞めて、学部も別の俺が後釜に座ったのは、シニカルと、菜緒子と仲が良くて唯一あいつに説教出来たからだろう。お嬢様ぶりを止める役は安藤にも無理だったのだ。

 「だいたいな・・・」
と菜緒子に言うと
「またーーバカみたーい、治くんてー」
と言ってスッとどっか行ってしまっていた。
今では「ハイハイ・・」と言って下をちょっと眺めて別の話を始める。それでも雰囲気は菜緒子1人の独壇場の時よりも険悪にならないですむ。彼女は1人だと突っ走って、気が付くと断崖に突っ立っていることになる。
「菜緒子の押さえ役ということで、飲み会は必ず出席!」
と安藤に言われ続けた。シニカルを気取っていても人と飲むのは嫌いではないから、いい役だったかもしれない。

 菜緒子はクラブの全員と寝ていたのだろうか。
菜緒子がいなくて男だけだと、彼女との一夜の素晴らしさをみんな語りだす。現在の自分の彼女との比較なんぞも御丁寧にしてくれて……
性感帯や弱い言葉などを自慢する。そういうのは好きではないのだが。そう言えば授業で歴史の先生が「江戸時代の村の娘は寄って来る村の男と寝て、子供が出来たらその中の一番好きな男を指名して結婚するんだ」と言っていた。指名されたら男は拒否できないらしい。そう思って耐えた。「自分に自信がないから人をもの扱いできないのだろう。」、「そういう時代性の結果なのだ」と客体化して酒を飲んでいた。
傍から見たら同じなのに、特別が好きな自分の習性。

 ただ、その話はクラブの踏絵だった。
菜緒子に憧れて入ってきた野郎どもは、スーパーモデルのキム・スミスのように純粋で端正な目や、白く抜ける肌に誤解を抱えてやってくる。それを完璧に打ち壊すのが、男同士の猥談の役回りだった。だいたい3パターンあって、その後喧嘩になるか、そのまま全員の前で菜緒子に確認の電話してガッカリするか、なにも言わないまま幽霊部員になっていくかだ。
何人と寝たか確認の電話すると「また新人をからかったでしょーー あんまり私の裏側を見せないでね」などと言って彼女は、嬉々としている。追っかけてくるやつにはまったく気にしていないようだ。どうでもいいやつはまったく顧みない猫の残虐性をもっている女。
 体によるある時期や、感動する映画を見た時、それ以外でも浮ついた時に彼女は手近のベットに寝にいく。彼女に最低のタイトルが名づけられないのは、それ以外の時には決して寄っていかないからだ。妊娠中のママ猫のように。
 そして1人暮らしである彼女の家のベットを使うことはない。「必ず寝に行く」のだ。
それが彼女自身の踏絵かもしれない。それを守れない男は彼女の中で削除されていった。
「あの人来るなら、あたし飲み会いかなーい。」
は、今のクラブの中ではシャーマンのご神託のような感じだった。譲れないクラブの法則だ。最初、彼女の我儘さにあきれていたが、頬に青あざがあったりしてみんなそれなりの理由があることを知ったようだ。こうやってクラブは成り立っていって、今では彼女の言動はかけがえのないようなものになっていた。「コミュニティー」という英語があるが、「共同体」というチープな訳語には訳せない感情のどろどろが格闘研究会にあった。
半年を過ぎると、愛敬のある佐々木は「チビ助」、大食いの谷橋は「(デーブ)大久保」など、あだなで呼ばれる奴も多くなった。

 みさきとは同じクラスというきっかけだった。付き合って数日目、恋人として一通りの事が過ぎた後、ふと、「私も格闘研究会見に行っていい?」と言った。彼女なりに一緒の時間を持ちたいという意味だったのだろう。今ではそう思う。
俺は注射器で心臓を刺されたように痛みを感じた。非常に痛いのだが、痛みの総量としてはとても少ない。そして確実に自分の生きている場所を刺す痛みだった。
今にして思えば、彼女のように尊敬する存在に自分の生きる場所を見られたくなかったのだろう。とても恥ずかしく感じた。みさきには尊敬から惹かれたというのが自然だと思う。異世界に対するドキドキと心の安らぎを感じたからだ。授業参観で母親に学校での生活を見られる恥ずかしさ、逆に友達に母親という家の生活感を嗅がれること、そんな風に感じた。
みさきはその時も観音様のようなアルティメットスマイルをしていたのだろうか。
よく思い出せないが、追求されたり、後々になっても非難されたこともなかった。付き合い始めたのが6月だった気がする。混乱した議論をしていた梅雨のちょっと前だったのだろう。「時期的にたまたま悪かった」かもしれないと振り返って、状況に理由を押し付けていた。そういえばそろそろ高校野球の季節だったのを覚えている。

その前年まで思いはさかのぼっていった。
菜緒子の家に行って寝たのはもう2年も前だろうか。俺と彼女の誰も知らない秘密。
彼女の強くない面を知っているのも大きな秘密だ。猫らしく数ヶ月すると、それもねたにしてきたのだが。
「私がおさむの胸で泣いたことをばらしたら、どうなると思う?」
といって子猫のように可愛く笑う。大好きな彼女の面だ。
俺は
「すればいいじゃん」
といって
「・・・そうなったらこのクラブとも終わりだな・・・」
と「彼女はクラブのシャーマン役」と頭によぎって、意識が薄くなっていく。

菜緒子は、部屋にいる時、全然女性らしい。
男と遊んでいる子を、よく仲間内で一面的、つまり多情であるということで軽蔑するが、それが本当に一面的であるかどうかは考えたりしない。菜緒子は残りの面をしっかりと自分の家の中で吐き出していた人だった。タタミにコタツと、黒くて最低価格のパイプベットの6畳、台所。みだれ髪で、「日本茶があれば何もいらないわ」という朝。それに「あなたもね♪」などと普段付け加える軽口もなく、天井をぼんやりと眺めていった横顔。漬物と緑茶と畳の純日本的な匂いの充満した部屋で落ち着く菜緒子。そうした面を見て、自然体の彼女に身を任せることが出来た。人間らしいバランスに身を任せることが出来たと言ってもいいだろう。
現代の「女」ではなく古風な日本人の女と云った方がいいのだろうか。
そう言えば彼女の家で寝た時も、バレたら「・・・クラブにいられない・・・」と思ったっけ。小心者だったのは俺自身だった。彼女は自分の小心にすら気づいていなかった。

求め合った。
お互いに求めあったのは確かだったから。
それはなにか特別で、猥談に出てくるセックスに裏打ちされていたわけではない。相手がどうしたら感じるのか、とさえ考えたことさえなかった。体位さえ顔さえ見なかった。目を閉じてすべすべの肌だけを求め合った。ただ、自分の中にある巨大なバター同士を、肌を触れ合わせることで、体を介してぶつけあった。
そういう求め合いの営みだった。
丸い2つのバターは山吹色と深黄色で、混ざり合ってレモン色になった。
色彩学で言えば混ぜあって薄くなるのは絶対にないが、2人の間では真の感覚だった。これまで抱えてきた闇の暗さを2人で淡くしたという確信ゆえに。

 これから広がる学生生活と春の鼓動への時期と連動していたのかもしれない。
彼女の家から見える川辺の家にあった白梅に奈緒の肌の白さを重ね合わせたのを覚えているから。しかし、春の終わる頃、クラブの全員をあざむいたままで、2人は元の関係に戻っていった。
 俺にとって彼女は、「女」の塊だった。象徴だったかもしれない。
教養の心理学でならった「シンデレラコンプレックス」というレンズを通してしか、体以外の彼女を見ることが出来なかった。白梅を奇麗な「花」としてしか見れず、花と連続している、枝、根、土壌、地形、気候などには目がいかなかった様に。いつでも皆に見せている白い顔が彼女の本心だと錯覚していたのだろう。本当は、恋人の些細な挙動で混乱したり、「好きなの?」と言ったまま言葉を待ったりと、そうでない面も持っていて、バランス良くぶつけてきていたにもかかわらず。
彼女と寝たキッカケは確かに、自分だけが彼女の相談役に乗っていて、それで、えーと、そういう寝ないから特別だとか、そういうなんというか、ロマンティシズムが嫌いだった面もあったと思う。
『シニカル』だった俺は「自分だけ高尚だ」という男のロマンティシズムも嫌っていた。言ってみれば、全ての精神的な価値が嫌いだった。大学教師の権威も嫌いだったし、親、警察、最小限の権威しかない社会の権威ですら嫌悪していた。権威を持てないという外国にはない腐った俺好みの社会なのだが、それも嫌いだった。自分はそういうコンタクトレンズを通してしか社会と交流できなかった。
彼女を通して女のロマンティシズムを見ていた。
彼女の体から得られる波動以外は全て重ね合わせていた。


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