もう結婚して10数年が過ぎた。
子供も手が離れてきたし、妻との生活も遠くなってきた。
仕事も順調に係長まで昇ったし、社会的地位も銀行の信用も、親類の配慮も手に入れてきた。ゴルフのスコアが100を切らないというのが、目下の最大の悩みだ。
爛(ただ)れた学生生活は上京して終止符が打たれた。そこから始まったのだった。遠野平野から北陸のしがない国公立に進学して、冬のどんよりとした空、豪雪に最初は驚いて喜んだものの、直ぐに飽きた。数々変った彼女も同じで、東北以外の地方から殆ど進学してこないせいで、女性の深い部分は似たり寄ったりだった。彼女らの何人かと深い仲になって喧嘩になると、口応(くちごた)をせずにじっと耐えているけれど、最後にはヒタヒタと忍び寄ってくるのが解かりだした。雪と同じように、その暗い情念に厭(あ)いたものだった。雪のように白い肌と黒豆のように輝く髪の魅力に逆らうことはできなかったけれど。
雪かきをしていない底なしへと落ちていくように乱れた生活をしていて、その脇で学業をしていた。女に金をせびるのは常だったし、何かにつけ北陸の悪口を言いながら鬱憤(うっぷん)を晴らしていた。3人が3人とも、それらにじっと耐えて金を置いていくのだった。
盆と正月には嬉々として実家に帰り、カラカラとして唯一雪の積もらない平野で友達と興じていた。帰郷前後のそんな嬉しそうな表情に何1つ文句も言わなかった。ただ1つ例外だったのは、東京の会社に就職した後、住所を教えていないのにも関わらず、元彼女と元々彼女から電話がかかってきたことだった。親友や彼女にすら伏せていたのにも関わらず掛って来た。もちろん、地元の会社に就職すると言っていた彼女からも1ヶ月も経たないうちに電話が鳴った。
3人とも上京した件は口にも出さず、ましてや責めることはしなかったが、逆に、それは彼女達の何とか捕(つか)まえておきたいという気持ちの現れに、私には感じられたのだった。雪は白く、そして何より年月を経ると固まって行く。彼女達というのも、もしかしたら、私という南方からの熱によって結晶体を液化して固まったのかもしれなかった。
妻には、対照的にハキハキとしていた職場の女性を選んだ。
もう、あの雪の中の重々しさにウンザリだった。
しかし、口数が多すぎて辟易(へきえき)しだしたのは結婚3ヶ月目で、それ以来も増加し続けで、今では立派なオバタリアンの仲間入りを果たしている。口数と共にデリカシーは減ってしまい、女性としての魅力が激減した。あれほどお洒落に気を使っていたのに、1回目の育児で全てを捨ててしまったようだ。南国のアッパラパーな猿のように、キィーキィーと五月蝿(うるさ)い。
かといって、北陸の雪に身を戻すには躊躇(ちゅうちょ)があった。
結婚して2年目、出産で家を離れている時期に、どこで知ったのか最後の彼女からまた掛ってきいていた。今は叔母の洋裁の手伝いをしているという。互いに30歳になっていたのだから、北陸では晩婚になる彼女は見合いもしていないと言っていた。何度か火遊びをしようか、と思ったけれど、仕事が忙しすぎてどうにも動きが取れなかった。
あれから7年が過ぎて、すっかり気持ちは落ち着いている。
大きな悩みはない。
けれど、ふと、足枷(あしかせ)について考えることがある。
猿の足枷も確かに退屈で五月蝿くて極まりなく、そして自分がいなくても家の生活が回っていくのだ、という絶望感に似た不安が付きまとう。けれど、雪の足枷もまた何かがあるのだろう、と考える。足枷はどの足枷にでも沼のような底なし感があるような気がしている。猿の足枷には社会からのご褒美(ほうび)が用意されていて、ない人はそのご褒美にだけ目がいって羨(うらや)む。雪の足枷にも個人的なご褒美が用意されていたのだろうし、褒美も底なし感も両方感じられている。世間様には見えにくいだけで何となく予想できるように思う。
もう観念はしている。
けれど、この枷が、後40年も続くのかと思うと、人生の半分以上に渡って続くのかと思うと、気が滅入(めい)ってくるのも確かだ。だからといって、雪に移り、そして新しい枷を着けるのも同じようなことになるのだろう。
いや、そう考える事自体、枷に落ちた考えに違いない。
本の伝記に載っている人々は、離婚した親友達や、独身を通している彼らは、時に枷を羨(うらや)ましがりながら、強烈な意志の光りを発して、輝いているのだから。老後と死後の一瞬のためだけに現在を犠牲にしてはいないのだから。猿を撃ち殺し肉を抉(えぐ)り出し、雪を融(と)かして蒸留水を精製し、人生の糧(かて)としているのだから。
けれど、そう、けれど。
けれどなのだ。
私には、いくら頑張っても喰らい尽くせない分身がいるのだ。
そう思い込まされて、意図的に思い込んで、自分の能力の減退を引き起こすのが、「結婚」というものだから。
藤崎 道雪