2006年02月01日(水) |
三島由紀夫『暁の寺 豊饒の海(三)』 |
さあ、次はどんな三島由紀夫が出てくるのかなあ、と、わくわくして読んでいきました。
始まりの舞台はタイ。 本多は五十に近づいていた。弁護士としてある商社の訴訟の弁護のためにやってきていた。 そこで「自分はタイ王室の姫君ではない、日本人の生まれかわりだ」という王女の噂を聞き、謁見を願い出た。 気が狂っていると幽閉同然で姫は薔薇宮に住んでいた。 そして、翻訳兼、護衛兼、監視役の3人の女官を振り切って、本多のズボンの膝にすがりついた幼い姫はこう叫びます。
「本多先生!本多先生!何というお懐しい!私はあんなにお世話になりながら、黙って死んだお詫びを申し上げたいと、足かけ八年というもの、今日の再会を待ちこがれてきました。こんな姫の姿をしているけれども、実は私は日本人だ。前世は日本で過ごしたから、日本こそ私の故郷だ。どうか本多先生、私を日本へ連れて帰ってください」 なんと、ジン・ジャン姫、前世の記憶を持っている!?
「ずっと南だ。ずっと暑い・・・・…南の国の薔薇の光の中で。……」という死の前の勲の言葉の通りに、本多はまた出会い、輪廻の物語が始まるのです。 どうする、どうなる!?
…だけど、意外と本多先生冷静なんです。 本多について「一緒に日本へ帰る」と言う王女を振り切って、すんなり日本に帰って今まで通りの生活に戻ってしまうのです。 えー。 がっかり。
しかし、時は流れ再び二人は日本で出会います。 そして、思わぬ方向へ話は流れていきます。 それまで輪廻の歴史の静かで正確な目撃者、記録者として読者を導いてきた本多が、思わぬ乱調をきたします。 起・承・転・結の転をみごとに表します。
そうです、今度は三島由紀夫のあの一面、『仮面の告白』『鍵のかかる部屋』『女神』『美徳のよろめき』『音楽』の世界です。 この変態チックな世界を、理知的で論理と客観の権化として描いてきた本多の中に見ることになるとは・・・本当に驚くやら、呆れるやら。 すごいよ。いろんな意味で。 お風呂で一気に読み終えてしまった。 う〜ん、「結」に向けて動き出している感じがものすごくします。 これはうれしいというよりも、読み終えてしまう寂しさのほうが先立つ感情です。
『豊饒の海』はこれまでの三島作品を習作として、三島文学のすべてを体現している作品なんだと確信してきました。 そして、周到に構成されたこの四部作によって、きっと三島文学は現しつくされ、完結してしまうのです。 それがとてつもなくさびしい。 ・・・やっぱりまだ読むべきではなかったか・・・・だけど本当に面白くて、読んでよかったとも思うのです。
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