きよこの日記

2006年01月20日(金) 三島由紀夫『奔馬 豊饒の海(二)』

年を重ねるごとに、読書に求めるものが変わってきているように思います。
私の場合、中高生のころは、何か新しい知識を得たいという気持ちや、他にないようなもっともっと個性的なあらすじの本を読みたいという欲求から本を読んでいました。
だけど、近頃は読むこと自体を楽しめる本に出会ったときが一番読書の楽しみを味わっている気がします。

この『奔馬』はまさにそういう本でした。
とにかく、毎日時間をやりくりして、ちょっとずつちょっとずつ読みすすめていくことが楽しかったです。
だけど、この本はエンターテイメント性はものすごく低いし、ちょっと眼を疑うような思想に満ちていて、不愉快で読むのをやめたくなる人も多いと思います。

なんといっても、ものすごい右寄りなんです。
主人公は現代の政治的腐敗に憤り、天皇のもとに結集し維新を起こさんと若い血潮をたぎらせるのです。
すごい世界です。
もちろん私にとっても思想的にすごく抵抗があったのですが、不思議なことにそれでもどんどん読ませるんです。

その理由の一つは、前作『春の雪』からのつながりがあります。
まったく異なる時代を、まったく異なるモチーフで描きながら、”輪廻転生”という前作からのつながりが一貫してそこに脈々と流れているのです。
この一冊の物語を読むときに私は、その完結した物語に加えて、「豊饒の海」の流れを感じその先にあるものを予感しながら読んでいました。

『春の海』から『奔馬』へそしてさらに自作へ、時空を越えてからみ合う人々の運命を、物語に没入することで、神の視点にも似た高みから眺め見届けることができるのです。

こんなの初めてです!

特に興奮したのがこの部分。

「これに見習って滝へ近づいた本多は、ふと少年の左の脇腹のところへ目をやった。そして左の乳首より外側の、ふだんは上膊に隠されている部分に、集まっている三つの小さな黒子をはっきりと見た。
  本田は戦慄して、笑っている水の中の少年の凛々しい顔を眺めた。水にしかめた眉の下に、頻繁にしばたたく目がこちらを見ていた。
  本田は清顕の別れの言葉を思い出していたのである。
 「又、会うぜ。きっと会う。滝の下で」」

ここで、初めて運命の糸が結びつくんですよ〜。

そして、もちろん『奔馬』では終わらない。
ちゃんと余韻と、予感を残しつつ、次作『暁の寺』に続くのです。

さてもさても、三島由紀夫はこの『豊饒の海』にすべてを注ぎ込もうとし、現実にそれを着実に形として著しているから本当にすごいお人だ。
前作では、源氏物語か、というような王朝風恋愛小説を披露し、『奔馬』では、自身の美学をいかんなく語りつくしながら物語としてのバランスを失わず、次ではどんな世界を見せてくれるのか、本当に楽しみです。


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