2005年12月04日(日) |
養老孟司『バカの壁』 |
えへ。今ごろ読みました。 きっかけはテスト作成。 3年生の問題にいい文章がないかなーと探していて発掘しました。 問題を作ってからしっかり読んだというような塩梅です。
養老先生の考えはいつ読んでもオリジナリティがあふれていますね。 今の社会の問題点をオリジナルな視点で、平明な言葉を使ってオリジナルにつづりますが、だからかえって、よく知られた抽象後で語られるより理解が難しいみたい。 テストをやってみて監督の先生とか、「難しいねー」「全然わかんないや」って。 書いてあることは二項対比ですごく簡潔だから、読むときは難しい実感があっても、生徒の回答率はそんなに悪くなかったです。 でも、今回のテストを受けて『バカの壁』を買って読んだという報告をしてくれた生徒もいたりして、いい知的刺激だったと思います。
私が本書を読んでいて舌を巻いたのは「意識と言葉」のくだりです。
「例えば「リンゴ」という言葉を考えてみます。リンゴという言葉を全員に書かせると全員が違う字を書く。当たり前です。私の字とあなたの字は違う。 (中略)同じ人間が同じ言葉を同じように発音したつもりでも、インクの乗り同様、やはりどこか違うのです。しかし、我々はそれを同じリンゴとして、全員が了解している。 私の知る限り、この問題を最初に議論したのがプラトンです。彼はなんと言ったかというと、リンゴという言葉が包括している、すべてのリンゴの性質を備えた完全無欠なリンゴがある。それをりんごの「イデア」と呼ぶのだ、と。 そして、具体的な個々のリンゴは、その「イデア」が不完全にこの世に実現したものだと言ったのです。つまり、言葉は意識そのもの、それから派生したものなのです。(中略)プラトンから一気に現代に話は飛びますが、言語学の中でそれを指摘したのが、ソシュールのシニフィアンとシニフィエという概念です。 ソシュールによると「言葉が意味しているもの」(シニフィアン)と、「言葉によって意味されるもの」(シニフィエ)というふうにそれぞれが説明されています。この表現はわかったようなわからないような物言いです。実際、ソシュールは難解だとされています。 が、これまでの説明の流れでいえば、「意味しているもの」は頭の中のリンゴで、「意味されるもの」は本当に机の上にあるリンゴだと考えればよい。ソシュールも、やはり言葉の二つの側面に注目したのだ、と考えられます。」
いやー。 ソシュールは難解ですよー。 私は言語学に興味があって、ほんの少し大学時代にかじったんだけど、この「シニフィアン」「シニフィエ」について、わかったようなわからないようなもやもやしたままで終わっていました。でも、この文章を読んで、「わかったー!!」とすっきり。
養老先生、なんでこんなにすっきりさせられるのか。ほんとすごいと思う。
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