2002年07月01日(月) |
与えられることより与えることを |
月曜は休館日だということを忘れて図書館へ行ってしまい、 なんとなくやる気をそがれてしまったくもり空の一日。
こんな日は本でも読んで心に栄養を。
本棚を見ると、前の学校を離れる時に、ある先生から餞別にいただいた本が目に入りました。 引越しや環境の変化で、読まなきゃ、読まなきゃと思いながらも、ほっておかれた本です。
渡辺和子『目に見えないけれど大切な物』 著者はノートルダム聖心学園理事長のシスターです。 この本を読んで、久しく離れていたキリストの御心にふれることができて本当によかったです。
特に、このところ私の心の大部分を占め、蝕んでいたごく感情的なことについて、 大きな示唆をいただきました。
―― 自分でさえ、汚い、みにくいと嫌い、隠していた傷口を「見せてごらん」と自分の手にとり、くすりをぬり、うみを取り、ほうたいを巻いてくれる人を自分の身近に持つ人は幸せである。 こうしてはじめて、私たちは、自分のみにくさを見つめる勇気を得ることができる。愛してくれる人とはそういう人である。ほれぼれとする姿だけでなく、どんな姿においても、そのみじめさ、みにくさをも、ともに見つめてくれる人である。 その時はじめて私たちは、自分がそれほどだめでないこと、卑下しないでよいことに気づくのである。愛されて、私たちは愛すべき人に変身してゆく。そして、やがて愛されるに価するものへと成長してゆくのだ。―――
私が誰からも隠しておいた弱点を見せてしまった時、 あの人は、あたたかく受け入れてくれた。
それは、私にとって本当に大きな驚きと喜びでした。 「完璧じゃなくてもいい。」 「ありのままでいい。」
それは、私にとって大きな発想の転換でした。 存在を許されるためには、 愛されるためには、 完全でなければならないと思っていたから。
私は、あの人に、弱い自分を許されることで、 初めて「I am OK」だと思うことができたのです。
でも、このごろの私の心を占めていたのは、 「こんなに好きなのに、報われないの?」 「私のことをどう思っているのか、確証がほしい」 っていう、 自分の想いに見合うだけの見返りを求める、ごうつくばりの、不満だらけの気持ち。
私は「自分ばかりが与えている」という錯覚にとらわれていたんです。 だけど、私が気づかずにいただけで、あの人はもっともっと大きなものをすでに私に与えてくれていました。
私はこれ以上、何を求め、奪おうというのでしょう。
私がこれからすべきことは、 私のまわりにいる人たち、これから出会う人たち、子どもたちに、 「You are OK」と伝えてあげることです。
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