2005年06月13日(月) |
ミリオンダラー・ベイビー (ネタバレあり) |
何となくこういう内容になるのでは?と予測しつつ見に行ってみた。ハッピーエンドじゃないとか、色々と聞いていたので、覚悟をして見た。
一言で感想を言うと、いい映画、考えさせられる映画だったということ。無駄がないし、一度は見て損はない映画だと思う。
ヒラリー・スワンクが演じるマギーが徐々にボクシングがうまくなる様子がよく描かれている。そして、水を得た魚のようにボクシングで相手を次々に倒していき、自信に満ちていく様子と最後に頚椎損傷により寝たきり状態になってしまう姿との対比がはっきりしていて、より物語の悲しさを演出しているような気がした。
クリント・イーストウッドが演じるフランキーは、実の娘からは手紙をつき返され、色々な苦しみを持ちながら、信仰に生きる意味を問いかけ生きている。
フランキーはマギーを自分の実の娘のように思い、マギーもフランキーを死んだ父の穴を埋める存在として考えるようになる。マギーの家族(母、妹、妹の夫)は冷酷非情で、家族とは全く呼べないもので、彼女を唯一支えているのは、亡き父との思い出だけなのだ。
そんな二人の様子を見守るのは、フランキーと苦楽をともにしてきたスクラップ(モーガン・フリーマン)。スクラップはフランキーの苦しみの一つでもある。フランキーはスクラップのことに対して自分を責め続けているため、ついついスクラップに哀れみのような感情を感じさせてしまう。スクラップはそういうのが嫌でついフランキーに反発したくなるような面を持っているが、二人は言いたいことは言い合える仲なのだ。
ボクシング中の事故で寝たきりとなるマギー。そんな状態でも冗談を言ったり、毎日来なくてもいいとフランキーに告げる様子は、涙を誘う。あれほどボクシングで激しく動けていたはずなのに、今はこんな状態であるということが、本当につらくのしかかってくる。
それにしても反則で相手を寝たきりにさせた相手はどうなったのだろうか? 謝罪などあったのかも気になるところだ。なかったような気もする。こうなってしまったのは、相手がまず反則をしてきたことも悪かったが、やはりマギーも反則で返したということにも原因があるようにも思った。そして、そうしろと言ったのはフランキーである。だから、フランキーはまた一つ自分が間違ったことをして自分の大切な相手を傷つける羽目になったと、自分を責めたかもしれないと思った。反則に反則で返すというのは、やはりよくないことなのだと思う。
マギーは死を考えるようになり、フランキーに死なせてくれるように頼む。フランキーは断るが、結局最後に手を下すことになる。直前に神父に相談に行くが、結局何の解決にもならない。神も仏もないと感じさせられる出来事、そして、神は犯罪を犯すことはもちろん許さない。
尊厳死というものは認められるべきなのだろうか? 意見は色々であると思う。でも、私自身がフランキーと同じ立場だったとしたら、私はきっと決断できなかっただろう。それがマギーを生き地獄のような世界にとどめているとしても。それはもしかしたら生きている者のエゴなのかもしれないけれど、やっぱり愛する人だからこそ、生きていてほしいという気持ちもあるからだ。
フランキーがマギーに手を下すとき、マギーが「ありがとう」というように一筋の涙を流すシーンがすごく印象的だった。
家族とは何かということにも考えさせられた。血のつながりというのは決して重要なものではなく、そんなものがなくとも心が通い合い、お互いに通じ合えば家族なのだと思うのだ。
一つ疑問だったのは、人工呼吸器につながれていて話ができるのか?ということだ。何となく呼吸器につながれると話せなくなるという気がしていたので。もちろん映画だからそういうところはリアルにしていないのかもしれないが。
ところで、最後に部屋の床に落ちていた手紙。あれは娘から返事が来たのか、それとも返事ではなくて、書いたものがまたつき返されてきたのかどっちだったのだろう? 私はつき返されて戻ってきて、フランキーが実の娘と連絡を取るのはもうやめようという風に割り切ったのでは…とそのシーンで思ったのだが、夫はあれは娘から返事が来たのだと解釈したようだった。あまりはっきり映らなくてわからなかったので、もしもう一度見る機会があったら確認してみたい。ただ、スクラップのナレーションがフランキーの娘に宛てた手紙というような形式をとっていたということが最後にわかるが、そうなるとその手紙は、フランキーがいなくなってから出したものだと思う。だから、やっぱりあの手紙は娘からつき返されてきたものなのではないかと思うのであるが…。
最後に、マギーの人生は不幸だったかというと、そうではないと思う。多分ものすごく幸せな人生だった。きっと悔いが残らなかったと思う。愛する父に最後を看取られながら死を迎えられたことを、とても感謝していたと思うのである。ただ生き残っているフランキーの方は、これからもずっと生きている限り苦しみを背負い続けるのだろうなと思った。
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