雨ノチ晴レ 22歳のハロー。ワーク
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 大躍進時代の農産物収穫の水増し報告の経験 など

大躍進時代の農産物収穫の水増し報告の経験

1958年の第二次五ヵ年計画において中国共産党指導部は、当時世界第2位の経済大国であったイギリスを追い越すという壮大(無茶)な計画を立案した。しかし、市場原理を無視して人民に厳しいノルマを課し、ずさんな管理の元で無理な増産を指示したため却って生産力低下をもたらした。大躍進政策が始まる前に毛沢東は1956年の「百花斉放百家争鳴」運動で共産党を批判した知識人達を1957年の反右派闘争で根絶やしにしていため、再度の弾圧を恐れた知識人層は口をつぐんで何も言わなかった。しかし1959年の7月から8月にかけて、江西省の廬山における会議(廬山会議)において、共産党の要人・彭徳懐が大躍進の問題点を諫めた。この指摘は正当なものだったが、毛沢東の逆鱗にふれ、彭の支持者も含めて政治的に失脚した。この結果、大躍進に意見するものがいなくなるとともに、一層無理なノルマが課されるようになり、ノルマを達成できなかった現場指導者たちは水増しした成果を報告した。そして、その報告を受け取った毛沢東は更なる増産を命令するという悪循環に陥っていったのである。

参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%BA%8D%E9%80%B2%E6%94%BF%E7%AD%96




第1次5ヵ年計画における重工業化の目標に関して

高い経済成長へと離陸した東アジア諸国における工業化政策
 当初、農業国あるいは資源産出国
⇒輸入代替工業化
 輸入工業品の国産化による経常収支赤字の削減
 国内に大量に存在する余剰労働力の吸収
⇒輸出志向型へ
 貿易における関税引下げや輸入自由化など、自由化の流れが加速
 軽工業を中心とする工業化が軌道に乗り、経済力が向上
⇒重化学工業化へ

中国は、その過程・準備段階を踏まないまま重工業化を目指した。

参考:http://www.jbic.go.jp/japanese/research/report/review/pdf/5-5.pdf#search='%E6%9D%B1%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%20%E6%AE%B5%E9%9A%8E%E7%9A%84%20%E7%B5%8C%E6%B8%88%E6%88%90%E9%95%B7'

興味深い文献
http://seminar.econ.keio.ac.jp/ikeosemi/hikaku.pdf#search='%E6%9D%B1%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%20%E6%AE%B5%E9%9A%8E%E7%9A%84%20%E7%B5%8C%E6%B8%88%E6%88%90%E9%95%B7'

2007年04月18日(水)
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