「むろんほんものではありませんがね、 写真はつまり、そのかけら、 うまくできたまぼろしであると思うんですよ」 「ふうん」 ポーはいった。 「パン焼き窯の残り香みたいなもんだろうか」 一瞬ぽかんとした支配人は、すぐに声をあげて笑いだした。 ポーはとんちゃくせず、 「でも、香りだけじゃ、腹いっぱいにならないな」 「ええ、たしかにそうでしょう」 支配人は笑いながらつづけた。 「ただね、お客様、私のように年をとったり、 途方もなく疲れ果てたときには、 香りだけでもじゅうぶんなごちそうになる。 かえって、残り香だけあればもうそれでいい、ってことが、 生きているうちにはきっとあるんです」 「へえ」 ポーは少し驚いていた。 男の口調は、でまかせをいっているようでもない。
◇
「写真てのは、つまり、たいせつな、嬉しいものなんだな」 とポーはいった。 「まあ、そうですな」 支配人はこたえた。 「撮ったり撮られたりした当人には、 嬉しいことのほうがだんぜん多いでしょう。 この世でじっさいでくわす出来事とくらべ、 ひどいものにあたる頻度は少ないでしょうな。 うまいパン、ひどい味のパン、 どっちにしたって、焼いたあとの窯には、 いい香りが残っているものですよ」
★ポーの話/いしいしんじ★
|