宿題

目次(最近)目次(一覧)pastnext

2006年08月01日(火) ポーの話/いしいしんじ
「俺はな、怖れてるんだよ」
肩をすくめていった。
「怖れてる?なにを?」
刑務官の問いに、
「むろん、女をさ」
味もかたちもない葉巻を、指先で回しながら、
「顔かたちや、うわべの態度じゃない。
女の奥にある全部が、俺は実のところ怖いんだ」
「わからんね」
刑務官は眉を、疑わしげにひそめ、
「面会室や、独房で、あんた、あんなに愛想いいじゃねえか」
「だから、臆病の裏返しさ」
メリーゴーランドはいった。
「女ってのは、俺にとっちゃ、目隠しして歩く夜道みたいなもんだよ。
びくついた手をぴんと伸ばして、真剣に、
気を張って進んでるんだ。
冗談や愛想がいいのは、いってみりゃ杖がわりさ。
それで暗がりをさぐってるんだよ」
「そうかねえ」
刑務官はいぶかしげに、
「仲間はみんな、あんたのことを生まれついてのすけこましだろうって」
メリーゴーランドは苦笑し、
「妹は、こんな風にいってたけどな」
ふたたび壁に背をもたせていった。
「生まれてすぐ、おふくろからちょん切られたのが、
俺はよっぽど恐ろしかったんだろうって。
それで女が怖いんなら、たしかに俺の癖は、生まれつきなんだろうな。
足の付け根にぶらさがっているものを、子どものころずっと、
へその緒の切り損ないと信じてたんだ。
おふくろにも妹にも、何にもついてやしなかったからな」
「ふうん、妹さんがいるのか」
刑務官は興味半分でたずねた。
「ひょっとして、美人か」
「ああ」
メリーゴーランドは即答した。
「俺がこの世で怖くない、たったひとりのべっぴんだよ」


★ポーの話/いしいしんじ★

マリ |MAIL






















My追加