宿題

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2006年06月10日(土) いしいしんじさん年譜メモ(1998年〜1999年)
■1998年(32歳)『みみだれ通信』vol.1発刊。
『うなぎのダンス/アスキー』『その辺の問題/メディアファクトリー』

この頃、1997年から書き始めていた2千枚の長編小説が完成。
長薗さんに渡すが、出版はされない。

ちょうど今、書いている長編が終わりかけなんですけどね。
例えて言うと、今まで考えたり読んだりしたけど忘れてしまっているさまざまなことが、
意識の底のどぶ池にずぼずぼ溜まっていて、そこにバキュームホースを突っ込んで、
その先っぽを握りしめて、発射の勢いを調節しながら、
壁に絵を描いていっている、と、そういう感じなんです。
★その辺の問題★

らも「君は、長いのは書き終わったの」
いしい「昨日、終わりました」
らも「どんな感じで終わった」
いしい「なんか、ずっと野生の暴れ馬に跨って、
ふと気づいたら、相手が静まってなついていた、いう感じですね。
ブルブルって、鼻、鳴らして」
らも「ええなあ、羨ましい」
いしい「後は、馬の毛並みにブラシ入れて、
待っててくれた仲買人さんに渡すんです。
たっぷり丸1年かかりました」
★その辺の問題★

長薗「B4ででっかいダブルクリップ二つ使ってやっと束ねたのを
重ねて持ってきたんですよ。
それがまたコピーしたてで熱いの。
『熱っ』とか言ってるのに『読んでください』って。何枚あったのかな」
いしい「どうでしょうね、原稿用紙で二千枚以上はあったんじゃないですかね」
長薗「『何だこりゃ、預かって読むよ、今は読めない』て、そのあと
飲みに行ったんだけど、とにかくいしいがめずらしく興奮してて、
今までで一番興奮していたんじゃない?」
いしい「うん、そうでしょうね」
長薗「何かもう瞳孔開いたみたいな感じで(笑)」
いしい「本当におぼえてない」

長薗「それは本にならなかったんです」
いしい「ボツったんですよ。わけがわからないっていうことで。
『読めません』て」
長薗「僕だって読むのに一ヶ月半ぐらいかかりました。
ノート取らなければわからないんだもの(笑)」

■1999年(33歳) リクルート時代から親しくしていた亀谷誠さんが亡くなる。
喘息が再発。右手指がアトピー性皮膚炎に。ガラスをよく割る。
左腕には力が入らなくなり、「いつもダランとさがっている」状態が1年ぐらい続く。
血尿も。
荒木経惟さんに「今小説とか書いたらお前は死ぬかもしれんからダメだよ、
当たり障りのないものを書いてしのげしのげ」と言われる。

いしい「この前、浅草でその頃に撮った写真というのが出てきたんです。
もうね、しりあがり寿さんの描く死人みたいな感じなの、痩せこけてて。
俺もこいつが現れて『小説書いてます』って言ったら『やめろ』って言う(笑)」
★「文藝特集いしいしんじ」★

「血尿が出た。ある日を境にとつぜん、赤くなった。
便器に流れるピンク色の血の筋にうっとり見とれ、なあるほど、
たしかに小便とは濾された血液のことだったな、なんて2、3日は
感心していたものの、そのうちえび茶色に変色したあたりで観念し、
近所の病院へ出かけた」
★『グレートピープル。ストレンジ』★

「今ではもうネタ話にしていますけどね。
(血尿は)相当不安だったです。
だからその頃に長薗さんと会っても、何かろれつが回ってなくて
わーっと喋っているような雰囲気で」
「本当にのべつ飲んでいて。だって飯食ってなかったですよ」
★『文藝特集いしいしんじ』★

「ここ数週間、毎朝起きると必ず線香を2、3本に火をつけ、
玄関や洗面所や、スピーカーの上になど立てては煙を見ている」
★『グレートピープル。ストレンジ』★

長薗「その頃いしいが『もうこの1年間とってもいやだった』
って言ったんですよ」
いしい「亀谷さんが亡くなって、それでものすごい闇の中に入って行った
感じがあったんです。体は一層ボロボロになっていくし。
ただ外ヅラは普段はそんなに悪くない。
『グレートピープル。ストレンジ』みたいなものを書いて渡してとかって
いうのは普通にできていたんです。
でも家では自動書記っていうのが大げさではないくらい、
何も考えず、ずっと書いてた。
自分の中にしかその話がどういう意味を持っててとかいうのは
わからないと思うんですけどね。
それでもやっぱりすごい大きかったですね。
自分が書くものが人に伝わらないというのが実は当たり前なんだ
ということに気がついたのは。
それまで自分が思っていることや書くことというのは、
必ずみんなに伝わるはずだって思ってたんです」

いしい「ただ、あれ(2千枚の小説)は自分の中にあったものなんです。
アイデアを何かからもらって書いたものではないというのは確かなんです」
★『文藝特集いしいしんじ』★

1999年の12月31日は、帰省して天王寺で座りこんで過ごす。

年があけて帰って、起きたらいろんな空気がきれいになっていた。
「今年は違うのかな」と思っていたら理論社から電話がかかってきて、
長編小説を書き下ろしでやりませんかという話があったんです。
★『文藝特集いしいしんじ』★

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