■1989年(23歳) リクルート入社。 スイス、スペイン(バルセロナ、バレンシア、マラガ)、ドイツ(フランクフルト)へ旅行。 長薗「あれは朝日だっけ」 いしい「そうです。リクルートの内定者が朝日新聞に僕のことを『ふざけたやつがいる』 って書いたんです。 『(内定者の中に) リクルート事件をおちょくった替え歌を歌っているやつがいる。 信じられない。私はこんな会社に入社するのはいやだから辞めます』って(笑)」 ★『文藝特集いしいしんじ』★
経理とか営業とか、そんな仕事が一回してみたかったんです。 でも、結局、そういうところには配属されず、新規事業開発的な、 なにをやっていてもいいようなところで、ブラブラ社員してました。 そういえば、入社式では、チェッカーズ「涙のリクエスト」の替え歌 「涙のリクルート」を唄いました。 「涙のリクルート 最後のリクルート(コーラス) 最後の札束 祈りをこめてmidnight官庁 ダイヤルまわす僕に教えて まだ不起訴よと トランジスタのボリュームあげてはじめて知った かもめの大将 江副の逮捕 きびしすぎるね ひどい仕打ちさ」 と唄ったら、なぜかそれが朝日新聞にも「なんと、ふとどき新入社員」 とスクープされて、有名な新入社員になってしまいました。 僕は、リクルート事件まっただ中にリクルートに入社したんです。 さすがに、そんな奴が営業や経理では、ヤバイかなぁ…と思ったんですかねえ。 ★マオマオネットインタビュー★
■1990年(24歳) モーリシャス、コモロへ旅行。 シーラカンスを釣りに行った顛末を書いた絵日記『シーラカンスの絵日記』 がリクルートで小冊子として配られる。
長薗「『このゴールデンウィークにシーラカンスを釣りに行きます」って言うんで、 『何言ってんだ、お前』みたいな(笑)。 くしゃくしゃの新聞記事か雑誌の切り抜きを取り出して、『ほら、見てください、 ほんまに釣れるんですわ』って言うんで『本当に?』とか言いながら、 一口1000円だっけ、それを三口出した」 いしい「お金を集めてたんですよ」 ★『文藝特集いしいしんじ』★
■1991年(25歳) ジャマイカへ旅行。山賊に襲われる。
いしい「市場を歩いていたら、顔なじみのプッシャーが来て、 『山の上にミック・ジャガーの別荘があって、開放したある。 おもろいから、行ってみい。笑うで』言うんで」 らも「あるんかい、ほんまに」 いしい「で、ラリって山道登ってたら、呼び止められたんです。 『ヘイ、マンコフェイス!』って。 らも「うまいこと言うたな。君、そういう顔、してるよ」 らも「してませんって。なんやろって振り返ると、 木の陰から、3人、忍者みたいにすすっと現れまして、 手に手に、石持ってるんです」 らも「うわあ」 いしい「林に連れ込まれて、殴られて、血塗れになって逃げながら、 財布から一枚ずつ、撒きビシみたいに、道に札を投げていったんです。 最後の札がなくなったときに、山頂の別荘地に飛び込んで助かったんですけど」 ★『その辺の問題』★
■1994年(28歳) 『アムステルダムの犬/講談社』 長薗さんが雑誌『ダ・ヴィンチ』を創刊。 いしいさんも編集部へ異動する予定だったが、 もとの部署が急遽いしいさんを出さないという結論に。 リクルートを退社。着ぐるみをよく着ていた。
当時、長薗さんと同じくらいお世話になっていた 関さんという人事役員のところに行って「辞めます」 って言ったら、 「本を書くんだろ。じゃあ、そこの書類書いていって」 って、全然引き止めてくれないんです(笑)。 「これで本当に辞めたんですかね」 「そうだよ、お前はもう関係ねえんだ」って言われて 「そうすか」って帰ろうとしたら、 「ちょっと待てよお前」って後ろから追いかけてきて、 「飲みに行くぞ」って、夕方の四時くらいからだったんですけど、 「いいんですか関さん、取締役なのに」 って聞いたら「いいんだよ、取締役だから」 って、あれはすごい嬉しかった(笑)。 ★『文藝特集いしいしんじ」★
『ダヴィンチ』に新進作家として「いしいしんじ 犬の本10冊」が載る。 『畜犬談』太宰治 『爆弾犬』ヘンリー・ローソン 『野生の叫び声』ジャック・ロンドン 『ボートの三人男』ジェローム・K・ジェローム 『チャーリーとの旅』ジョン・スタインベック 『人イヌにあう』コンラート・ローレンツ 『愛犬物語』ジェイムズ・サーバー 『世界の犬種図鑑』 『街角で笑う犬』椎名誠 『犬のルーカス』山本容子 の10冊。
■1995年(29歳) 『なきむしひろこちゃんはかもしれない病かもしれない/講談社』 『ダ・ヴィンチ』11月号でスチャダラパーにインタビュー。
ボーズ「遠くの声を探して」アニ「因果鉄道の旅」シンコ「とうとうロボが来た!!」 とそれぞれ本を選んだスチャダラパーの3人にいしいさんは 「ところで、3人それぞれ別の本を持ってきていただいたわけですが、 3人で1冊なら『ドカベン』じゃないか、なんて思ってました」と発言。
■1996年(30歳) 『とーきょーいしいあるき/東京書籍』 5月「ダ・ヴィンチ」で中島らもさんとの対談始まる。 対談の前日に酔って三越のライオンに跨り、 警察に職務質問を受ける。一晩留置所に。
長薗「『ダ・ヴィンチ』で中島らもさんのインタビューに行ってもらって、 そしたら、らもさんがいしいのことを気に入って、 「対談にしてもらおうか」っていうことになったのがきっかけですね」 ★『文藝特集いしいしんじ』★
ボクシングジムに週3で通う。 食事にあまり興味がなさそうな時期。
いしい「定食屋に『いしいくん定食』いうの、作らせたんです。 入ったら、必ずそれが出てくるし、なんにも手間がいらなくて、えらい楽なんですよ」 らも「それは、どんなメニュ−なんや」 いしい「タマゴご飯に、味噌汁です。塩辛もついて400円」 らも「君も、幸薄い食生活、送っとんなあ」 いしい「この塩辛が、、ぞくぞくするくらいまずいんですよ」 ★『その辺の問題』★
いしい「この夏、突然、右脚が曲がらなくなったんですよ。 洒落にならんから、急遽、健康保険に入りましてね」 らも「君、保険すらなかったんか。非国民やな」 いしい「大学病院言ったら、MRI検査っていうの、やらされたんです。 レントゲンの大袈裟なやつ。これがまたごっつ高くて、8000円くらいする。 で、結果が出たいうんで行ったら、写真眺めながら、 「いしいさん、あなたの半月版はでかい。いや、でかすぎる」 「はあ、それが原因なんでしょうか」 「いやそれは別に関係ないんだけどね」って。何じゃそれ」 らも「がっはっは」 いしい 「じゃあ、早く教えてくださいよ」 「あのね、わからない」「え?」「原因不明、はい、これ」って、 紙一枚渡されて、見たら、リハビリ体験基本8コースって書いてあって」 らも「はっはっは、おっかしいねえ」 いしい「冗談じゃない。体操一回あたり1000円ですよ」 ★その辺の問題★
「たいふう」から続く幼稚園の頃に書いた「サイシリーズ」とか、 小学校や中学生の頃にやっていたことから ある意味三十歳くらいまで続いていくものというのは、 たぶん「たいふう」で一瞬つながった感覚を求めていたんでしょうね。 「あの時はつながったの今つながらないのはおかしい」というような 感覚を頼りにいろいろくり出す。 出すんだけれども裂け目にどんどん落ちていって、結局三〇歳ぐらいで 種切れになって出すものがなくなったと感じて、 あるいは結局つながっていなかったのかもしれないって思って、 ヒュッと横を見たら「ああっ、『たいふう』でつながっていたのか」っていう 感じなんです。 ★『文藝特集いしいしんじ』★
■1997年(31歳) 『シーラカンス/金の星社』 中島らもさんと一緒にアムステルダムへ。 1時間のラジオ番組を1年半続ける。
いしい君は哀しいくらいに頭のいい人で、例えばこういうことがあった。 3回分の対談を収録しようというので、ロケイションをアムステルダムに定め、 延々と何時間かしゃべったのだが、実はテープレコーダーにトラブルがあった。 3時間分、何も録音されていなかったのである。 いしい君は「大丈夫ですよ。記憶をたよりにまとめますから」と言った。 そんなことが可能なんだろうか。少なくとも俺なら無理だ。これは確言できる。 ところがいしい君は記憶の縄バシゴをつてにして、みごとに3本分の記事を ものにしてしまったのである。 俺は心のなかで驚きと賞嘆の拍手を送ってしまった。 ★『その辺の問題』あとがき/中島らも★
勝新太郎さんが亡くなったと知り、葬儀に参列。 なぜか前の列へ通され、勝さんにごく親しい人々に囲まれて の式を体験。
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