事務所の不正が発覚した。 五つの赤い風船のメンバーに対してギャラのダンピングを行ったのである。 それまでは所属シンガーのスケジュールをびっしり組んでしっかり 儲けているのに、ちょっと仕事がなくなったらすぐにダンピングをするというのは、 どうしたって納得できない。僕は怒りを抑えられず、 「そういうことをするのでしたら抜けます」と言って、事務所を辞めた。
第三回中津川フォーク・シャンボリーは、二日目の夜に一部の観客が暴徒と化して メインステージを占領、やれ「自由がない」「僕たちの歌がない」などと 朝までしゃべりまくったという一件のある、いわくつきのコンサートである。 実はこのとき、武蔵野タンポポ団はメインステージとは離れた別の会場で 演奏を行っていた。あのバカな連中にステージを邪魔されなかったことは、 今でもほんとうに良かったと思っている。
言いすぎかもしれないが、学生運動のただ中にいた人たちは、 ある意味で自分たちの都合のいいように フォークソングを利用していたのではないかと言う気がする。
そもそも僕は集団の中に入ってなにかをするというのがあまり好きではない。 たとえばデモに行くのだったら、自分ひとりでゼッケンを引っ掛けて行くのが 本来の姿だろうと思うのだ。 印刷したゼッケンをみんなでぶら下げていくようなものは、 デモでもなんでもない。
ベトナム戦争に反対する市民連合のべ平漣は、代表者である作家の小田実のもとに 多くの知識人や無党派市民、学生らが集まって、さまざまな活動をしていた。 しかし、実を言うと僕はべ平連をあまり好きじゃなかった。 なにしろ僕がこの世でいちばん嫌いな男のひとりが小田実だったからだ。
(「戦争しか知らない子供達──沖縄フォーク村イン東京」というコンサートで) 沖縄の連中の歌を聞いているうちに、だんだん不愉快になってきた。 慣れないヤマト言葉、つまり標準語で歌う彼らが、 聴衆にウケようとしているように見えたからだ。 僕は自分の出番になって数曲歌ったあと、つい言ってしまった。 「あなたたちは自分の言葉を持っているんだろう。 なのにどうして内地の言葉で内地向けのような歌を歌うんだ。 自分たちの言葉で歌えっ」
★バーボン・ストリート・ブルース/高田渡★
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