国歌斉唱の練習で、僕ひとりだけが歌わないでいたら、先生から 「どうして歌わないんだ」ととがめられた。僕はこう言った。 「うちのお父さんが『君が代を日本の国家だとは認められない。あれは艶歌だ』 と言ってますので、僕は歌いません」
学生服を着ていないのは僕ひとりだった。 「どうして学生服を着ないのか」という先生に対しては、 「義務教育には服装の規定がないと聞いています。 なのにどうして軍服の名残りである学生服を着なきゃならないんですか。 僕は着ません」と答えた。 父がそういう考えだったし、僕もそれが正論だと思っていた。 まして、うちに学生服を買うゆとりなどあるはずもなかった。
三鷹の中学校に編入して間もなく、全国でいっせいに能力検定テスト?が始まった。 これに対し、「人の人生をこんなもので決めてしまうなんて」と反発したのが 日教組の先生たちだった。 ところが、試験の当日になって彼らは言った。 「とりあえず名前だけは書いてくれ」と。 それに大きな疑問を感じた僕は、クラスのみんなに 「名前を書かないでそのまま出そう」と持ちかけた。
のちに通っていた夜間高校では、僕は新聞部に在籍していた。 その学校の学園祭で歴史の先生が軍歌を歌うという話を聞き、 新聞の論説にこう書いた。 「今は軍歌の時代じゃない。時代錯誤もはなはだしい。 その軍歌のもとに、どれくらいの人が死んだのか知ってるのか」
職場では月に何度か学習会が開かれた。 会を主催していたのは民主青年同盟。当然、そこではマルクス云々という 話になるのだが、ヘソ曲がりの僕がおとなしく聞いていられるわけがない。 「『資本論』というのはとてもいい本なんでしょうけど、 西洋人の発想で書かれた本でありますし、彼らとは生活も違うわけだから、 それをそのまま読んで納得しろというのが、どうも僕には理解できません」
当時会社のおエライさんたちは、会社が『赤旗』を刷っていることから、 ”人民の弾丸”を気取り、それを下のものにも押し付けようとした。 「君たちは人民の弾丸なのだから、ボーナスのこともちょっとは我慢しろ」 というわけだ。冗談じゃない。 弾丸も一歩外に出れば、なにか食べなければ生きていけないのである。 それを皮肉って社内報に書いたところ、 「なんだコイツは?『赤旗』を刷っている会社にいるというのに、 なんてヤローだ」という声が噴出、
入学早々、学校で全校生徒集会が開かれていた。 そのときに生徒相談役の先生が、 「いま学生たちはいろんなことで問題が多い云々」と言う話をした。 そこで僕は手を上げて発言した。 「すいません、新入生なんですけどひとつ言っていいですか? 非行化の問題は大人に原因があるからで、それを生徒のせいにしちゃいけません」 そう言ってしまった手前、成績が悪かったら示しがつかない。 だったらテストで満点を取れば文句も言われないだろうと思い、 勉強は一生懸命した。
★バーボン・ストリート・ブルース/高田渡★
|