次の日、子供が飛んで帰って来て、 「パパ、家のまわりに機関銃があるよ」 と云うやいなや、窓から四人のソルダート(兵隊)が土足のまま飛び込んで来た。 びっくりした私に、二人の蒙古兵が自動小銃をつきつけ、 バルチーク(中尉)が、私を指さして何かどなった。 するともう一人の背広を着たロシア人が、 「その場に静かにしなさい。反抗すると貴方は死にます」 と通訳した。これがなんと、いつも菓子を買いに行くアルメニヤという駅の 近所のロシア菓子店の主人ではないか━━うーむ、世の中は一変したのだ。 菓子屋の主人「あんた、モリシゲ、ね」 真青な私「そうだ」 憲兵中尉「(はげしいロシア語)」 この間、通訳の間があるんで即答しないのが大助かりである。 菓子屋の主人「私たちと一緒に行きます。なぜ行くかわかります、ね」 真青な私「わかりません」 憲兵中尉「(ドン、ドンとテーブルをはげしくたたいて、 ピストルを擬しながら早口でしゃべる)」 菓子屋の主人「あなた放送局、みんな調べました。シベリア行きます。 裁判あります。奥さん、寒い用意しなさい。いますぐ行きます」 土色の私「………」 私の顔面はおそらく色を失っていたのだろう。声が出なかったのをおぼえている。 子供たちは三人、祖母のそころへよりそって、パパがどうなるのかと、 泣くのも忘れた顔で見ている。 中尉はやおら立ち上がって「マリンキー(子供たちよ)心配しなくていいよ」 と笑顔を見せ、子供たちのいる次の部屋との間の襖を閉めた。 そして、ふり向くや大喝一声。通訳は━━ 「あなたは、かくしますと、ソンです。もし、あなたが、シベリアへ行きたくないなら、 五人の人の隠れているところ教えなさい。━━大丈夫、あなたに心配はかかりません。 憲兵、警察、役人、軍人、あなた知ってるえらい人、たくさんあります。 その人は、今どこにいます。えらい人は、どこかに隠れています。 五人だけ、家を教えなさい。あなたは、行かないでいいです。どうぞ!どうぞ!」 私が返答に窮してふるえているところへ、救いの神のように、静かに ━━いとも静かに、女房が紅茶を持って入って来た。 そして彼女は、おもむろに皆の前に紅茶を出して、静かな口調で菓子屋の主人に、 女房「いつも買いに行くアルメニヤの小父さん、おぼえていますね、私の顔。 (主人は、ダ、ダ、と小さな声で返事をした)すみませんが、こちらの 将校さんに通訳して下さい。 わたしは、ソビエトという国は、今日世界の最も進歩的な国だと信じておりました。 ところが、はじめてお目にかかったその国の責任あるこちらの将校の方が、 こんなに礼儀を知らないのにびっくりしました。 こうして、土足のまま窓から入ってきて、いきなり家族のいるところで無作法な ふるまいをなさいますが、これはお国の習慣なんですか? 小父さん、訊いて下さい」 どう通訳したか知らぬが、中尉もいくらかホコ先がくじけたのだろう、 紅茶は飲まなかったが、今度はやわらかい調子で、菓子屋になにかささやいた。
★森繁自伝/森繁久彌★
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