久しぶりに帰って来たこの無頼の父を、それでもうれしそうに迎えてくれる子らの顔が、 栄養失調の故か、眼ばかりキョロリとして青くやせていたのにはやりきれなくて、 土方でもいいから働かしてほしかった。 元旦を明日に控えて、無力の父は、 「かくて暮れた今日と何の変わりもない明日であるのに、なにゆえ、 もったいらしく元旦なぞというんだ」 と、うらめしそうにつぶやいて、いものとろけた悲しい粥をすすりながら決心した。 私の腕にだけチカチカと音をたてて残っていた満州七年の労苦を一緒にした時計を、 その夜、白いお蔵の奥深く、二千五百円で入質した。 金を握ったらとたんに人間らしいぬくもりがもどってきて、 まだ起きていた店で卵を家族の数だけ六つ買って、 除夜の鐘に追っかけられるように走った。 「これ!」 と女房にお金をさし出して、子供たちの前でこんどは誇らしげに新聞紙をひらいた。 「卵、まあ!買ったんですか?」 「うむ、全然動物のにおいのせん正月じゃあ始まらんじゃないか━━。 卵焼きでもつくったら」 「すみません」 「おい!子供たち、卵だよ。ホラ、見てごらん、これが卵。鶏の生んだ卵だよ!」 子供たちはうれしそうに眼を見はった。 初日の光はうららかにさし込んだらしいが、元旦のお祝いもどうせあるまいと、 六畳の隅にいぎたなく寝くずれていたが、 「起きてパパ!」 と子供たちにゆり起こされ、 「さあ!お祝いをしましょう!」 という晴々とした妻と子供の声に、しょうことなく顔を洗った。 鼻の下の長い話で恐縮だが、 (どうしてこんな時にこんなことが出来るのか、これで何度目かの経験だが) 女というものは、時に得体の知れぬえげつないほどの力を出すものだ。 驚くべし。 寝ぼけた私の眼にうつったミカン箱の膳の上には、まがりなりにも酒どっくりが一本、 そして、四角に切った白い白いモチもある。 上手にふくらんだ卵の厚焼きもある。 きれいに切ったミカンがカンテンの中にすがすがしい新春を告げていた。 そして、もっとびっくりしたことは、エビのフライまであるではないか。 ━━これはかつて私が週刊誌に書いた”エビカニの日曜日”という随筆の中で くわしく書いたが、「さあ、裏の川へ蛋白の補給に行きましょう」と、 家内と子供がザリガニを取りに出かけ、これをフライにして、 立派なア・ラ・カルト、ザリガニ・フライをエビとして私に食わせた━━ あの涙ぐましいフライまであるではないか。 「明けましておめでとう」 と云ったら、雑煮も食わないのに胸がつかえてどうしようもなかった。 人と人との生活は、こんな可憐な善事の積み重ねに、 離れがたき因縁をつみ重ねていくのであろう。
★森繁自伝/森繁久彌★
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