森「森川信さんが道頓堀で軽演劇を始めて、 そこに呼ばれて舞台もやるようになった。 軽演劇といっても、名作があったのよ。『にしん場』とか『性病院』とか。 これが戦後の昭和二十二、三年ぐらいかな。 この後に結核が再発して、ずっとねこんで…。 でも、ねてたんでは食べれないから月に一回ぐらいは 会社の慰安会なんかに行って唄ったの。 でもひどくて、楽屋でも、ねてるくらいの状態だった。 結核は歌なんか唄っちゃよくないの、でも食べられないから」
「ところが二十五、六年にはどうしようもなくなって入院。 でも私って運が良かったのね。 小学校の同級生のお父さんがお医者さんになってて、 その人の叔父さんの療養所に入れてもらったの。 お医者さんは、もう駄目だと思ったくらいに悪化してたらしいんだけど、 私は駄目だと思わなかった。 ちょっと良くなった時に、かげでは、「奇跡的に持ち直したけど、 直っても一生仕事はできないだろう」っていうのに、 どんどん良くなって。私は私で「歌はもう駄目だろうけど、 ラジオドラマならいいな」って。 助かるとばっかり思ってるから、当時出来たばかりの民放ラジオのことを 考えてて…」
「病は気からって本当。 そのうえ、いいことにいい薬が出はじめてきて。 ストレプトマイシンも、一本一万円ぐらいしたのに、 実験材料みたいに使ってもらって。 それからパスも試したし、ヒドラジッドで決定的に良くなって。 新薬が巧い具合に全部効いてくれたの。 胃が丈夫だったのね。こんなに大量に薬を投与しても平気だったんだから」
「直るとすぐ、二十七年の二月に、大阪のNHKに知り合いがいて、 売り込みに行ったの」
「でもラジオは安いの。一本千五百円。 それも月に四本で、一回に二本録音するか月に二回行けばいいだけだけど、 それじゃ暇なうえに、食べられないでしょ、 それで小さい頃から存じ上げていた裏千家の家元の奥様に呼ばれて、秘書になったの」
★おしゃべり倶楽部/黒柳徹子×森光子★
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